(楽天市場より引用。)
ここ数年、わが国でもハロウィンの祭りが爆発的に広まりましたね。コンビニではハロウィンのカボチャの包装紙でくるんだおにぎりが売られるようになりました。
もう、ほとんどの人が覚えていないでしょうが、ハロウィンで思い出すのは「服部君事件」です。1992年、名古屋の名門校・旭丘高校の生徒、服部剛丈君がアメリカ留学中にハロウィンの仮装で他人の庭に入って射殺された事件です。(当時、日本ではまだハロウィンは一般的ではありませんでした。)
アメリカ留学経験のある友人は、アメリカだったら射殺されても仕方がないと言っていましたが、そのとおり加害者は無罪になりました。日本ではありえないことです。
輸入モノでもハロウィンは子ども中心の祭りだから、まだよいですが、昭和30年代に日本の夜の盛り場が始めたクリスマスはいやでしたね。へべれけに酔っぱらった男たちがとんがり帽子をかぶって道でクラッカーを鳴らしたりするのです。あのバカ騒ぎは何だったのでしょうか?
それで思い出すのは、京都の地蔵盆です。8月の末の一日、町内の子供たちが集まり、お菓子をふるまわれたり福引やゲームで遊びます。かつては近畿地方一円で広く行われましたが、子供が少なくなってすたれてきました。京都では、子供の守り神であるお地蔵さんが街角のあちこちにあるので、とても盛んでした。お地蔵さんを供養して町内の子供たちの無病と成長を願う祭りです。
仮装といえば、祇園では節分の夜に、舞妓や芸妓が仮装をしてお座敷に出る習わしがあります。これを「お化け」と呼んでいます。夜が明ければ立春。春を迎える喜びを仮装で表す微笑ましい行事です。
国や所がかわれど、いずれも目に見えない自然のパワーに畏敬の気持ちを表し、元気に生きていることを感謝する、自然と比べると圧倒的に無力な人間の素朴な営みですね。
では、今日の日本のハロウィンはどうでしょうか。テレビなどで見る限り、仮装してバカ騒ぎしているのは大のオトナです。川崎などでは大勢が仮想パレードをしているようです。関連商品の売り上げがバレンタインを上回ったなぞと能天気なコメントをしている番組もありました。そこには、畏敬や感謝とは無縁の、かつての盛り場のクリスマスのような、何か不快ものだけを感じるのは私だけでしょうか。
ハロウィンの仮装に興じるオトナたちがバカ騒ぎを求める理由は、昭和30年代とは違っているでしょう。ここ数年のハロウィンの爆発的な普及が、何か良くないことや得体の知れぬ不安からただ逃れたいと思っているからではないことを願うばかりです。
若者たちにイスラム国の戦闘に加わりたい者が世界中にいるらしいですね。日本の若者にも八方ふさがりの人が増えて、いっそ戦争でも起きればよいと漠然と考えているようです。
やはり人類が農耕を発明したのは失敗でした。