家元制度については、いつぞやこの欄に書いたが、昨日、山頭火のことを書いたので、俳句の家元制度について述べよう。
日本に俳句結社は2000ほどあると言われている。それぞれに主宰がいるから、我が国には2000人の主宰がいることになる。
だが、すべての結社の主宰は家元制度を採っていない。主宰が亡くなると有力な会員が主宰を継承するスタイルが多い。
中には主宰が死去すると結社そのものが解消される場合がある。山口誓子は虚子の写生主義と袂を分かって西東三鬼とともに立ち上げた俳誌「天狼」を「主宰は一代限り」として、1993年に終刊させてしまった。(誓子は翌年92歳で逝去した。)
ただひとつ家元制度を採っているのは「ホトトギス」である。「ホトトギス」は明治30年に創刊された総合誌だった。正岡子規の「子規」とはホトトギスの異称である。戦前は夏目漱石、芥川龍之介といった錚々たるメンバーが小説などを寄稿した。小林古径が表紙絵を描いたりもしている。高浜虚子らが俳句の選者だった。
戦後は俳句雑誌のようになって、高浜年尾が主宰を継ぎ、その死去にともなって現在の稲畑汀子さんが主宰となっている。汀子さんは虚子の孫である。その跡継ぎは汀子さんの子、稲畑廣太郎さんと暗黙の裡に決まっている。
そして、日本に2000人いる主宰の多くが「ホトトギス」の同人である。とくに九州の結社ははほどんど100%「ホトトギス」系である。
「ホトトギス」の同人になるのは大変名誉なことである。そうとうの年月と努力を必要とする。「ホトトギス」の同人に推挙されると、その人は勲章でももらったときのように、宴を開く習わしになっている。
私が所属する名古屋の結社「牡丹」も主宰は3代目だが「ホトトギス」同人である。
今のところ「ホトトギス」は家元制度を採っているけれども、それがいつまで続くか疑問である。第一に同人たちの高齢化が挙げられる。同人たちに盛り立てられての主宰・稲畑汀子さんである。
そして、虚子の跡を継いだ年尾もそうだったが、稲畑汀子さんも驚くほどに俳句がうまいというわけではない。昔は家系を重んじるという風習があったから、汀子さんは今のところ高齢の同人たちにほとんど崇拝されているけれども、同人が若返ったら廣太郎さんを崇拝するかどうかは分からない。
だいたい家元制度というものは、作品がうまいのか下手なのか分からない分野で初めて成立する。お茶とかお華がそうである。
もうひとつ、ピアノやバイオリンのように幼少時から始めないと上手くならない技芸でも家元制度は成立しうる。例えば、能や狂言がそれである。
囲碁も昔は家元制度を採っていたが、本因坊家の子供が囲碁が強いとは限らず、昭和13年に本因坊家は本因坊の称号を日本棋院に譲って、実力本因坊制になった。囲碁のように勝ち負けがはっきりしてしまう技芸には家元制度は馴染まなくなったのである。
俳句は本当は善し悪しがはっきりしているのだが、素人には分かりにくいので「ホトトギス」はこれまで家元制度を維持できたものと思われる。しかし、上に述べたように今後「ホトトギス」の家元制度は衰退していく可能性がある。
日本に俳句結社は2000ほどあると言われている。それぞれに主宰がいるから、我が国には2000人の主宰がいることになる。
だが、すべての結社の主宰は家元制度を採っていない。主宰が亡くなると有力な会員が主宰を継承するスタイルが多い。
中には主宰が死去すると結社そのものが解消される場合がある。山口誓子は虚子の写生主義と袂を分かって西東三鬼とともに立ち上げた俳誌「天狼」を「主宰は一代限り」として、1993年に終刊させてしまった。(誓子は翌年92歳で逝去した。)
ただひとつ家元制度を採っているのは「ホトトギス」である。「ホトトギス」は明治30年に創刊された総合誌だった。正岡子規の「子規」とはホトトギスの異称である。戦前は夏目漱石、芥川龍之介といった錚々たるメンバーが小説などを寄稿した。小林古径が表紙絵を描いたりもしている。高浜虚子らが俳句の選者だった。
戦後は俳句雑誌のようになって、高浜年尾が主宰を継ぎ、その死去にともなって現在の稲畑汀子さんが主宰となっている。汀子さんは虚子の孫である。その跡継ぎは汀子さんの子、稲畑廣太郎さんと暗黙の裡に決まっている。
そして、日本に2000人いる主宰の多くが「ホトトギス」の同人である。とくに九州の結社ははほどんど100%「ホトトギス」系である。
「ホトトギス」の同人になるのは大変名誉なことである。そうとうの年月と努力を必要とする。「ホトトギス」の同人に推挙されると、その人は勲章でももらったときのように、宴を開く習わしになっている。
私が所属する名古屋の結社「牡丹」も主宰は3代目だが「ホトトギス」同人である。
今のところ「ホトトギス」は家元制度を採っているけれども、それがいつまで続くか疑問である。第一に同人たちの高齢化が挙げられる。同人たちに盛り立てられての主宰・稲畑汀子さんである。
そして、虚子の跡を継いだ年尾もそうだったが、稲畑汀子さんも驚くほどに俳句がうまいというわけではない。昔は家系を重んじるという風習があったから、汀子さんは今のところ高齢の同人たちにほとんど崇拝されているけれども、同人が若返ったら廣太郎さんを崇拝するかどうかは分からない。
だいたい家元制度というものは、作品がうまいのか下手なのか分からない分野で初めて成立する。お茶とかお華がそうである。
もうひとつ、ピアノやバイオリンのように幼少時から始めないと上手くならない技芸でも家元制度は成立しうる。例えば、能や狂言がそれである。
囲碁も昔は家元制度を採っていたが、本因坊家の子供が囲碁が強いとは限らず、昭和13年に本因坊家は本因坊の称号を日本棋院に譲って、実力本因坊制になった。囲碁のように勝ち負けがはっきりしてしまう技芸には家元制度は馴染まなくなったのである。
俳句は本当は善し悪しがはっきりしているのだが、素人には分かりにくいので「ホトトギス」はこれまで家元制度を維持できたものと思われる。しかし、上に述べたように今後「ホトトギス」の家元制度は衰退していく可能性がある。