(オリンパス・フォトパス・ダウンロードフリーより。)
中学の俳句の授業で下記の句がテーマとなった。
むめ(梅)一輪一りんほどのあたたかさ 服部嵐雪
服部嵐雪は芭蕉の弟子である。この俳句の意味は2通りに解釈できるという。結論は、いろいろに解釈できるが、どのように解釈してもよいというようなことだったと記憶する。
解釈(1)梅が一輪一輪開いていくごとに、だんだん暖かくなってくる。
解釈(2)梅が一輪咲いた。暖かさも一輪程度のわずかなものである。
その時の教師は小説を書いていて、それが芥川候補になったほどの腕前である。でも、俳句にはど素人だったと思われる。なぜなら、この俳句の解釈は(2)しかありえないからである。
俳句では「ほどの」は「程度の」の意味である。俳句としても(2)の解釈の方が心を打つ。自分で俳句を始めてみて40歳”ほどに”なってやっと分かった次第。