
(「鉄ちゃんの群れ」。週刊文春WEBより引用。)
むかしマックOS派の友人とウインドウズ派の友人がいて、どちらが優れているか論争がありました。君(私)はどう思うかと問われ、「どちらも僕が造ったのではない」と答えたら、論争が終わってしまいました。(2008-07-16)
鉄道ファン(鉄ちゃんとか鉄子)という人たちがいます。彼らは電車や機関車、また時刻表や鉄道の歴史について異常に詳しいです。でも、私はそんなに詳しいなら鉄道を自分で造ったらどうかと思います。
つまり、ふつう鉄道会社の技師が作った車両についていくら詳しくても、技師たちを超えることはできません。でも、趣味人ならプロを超えるほどでなくてはならないというのが私の趣味の「美学」です。
プロ野球の応援が好きな人たちがいます。プロ野球選手は野球の天才ですから、素人の及ぶところではありません。プロほどに野球ができないから、せめて応援で満足感を得ようとしているのでしょうね。
鉄道ファンも同じで、鉄道のプロにはなれないから、せいぜい素人の中では詳しくなろうと自己規定しているのでしょうか?でも、趣味の世界で限界を自己規定をするのは、つまらなくはありませんか?
※今日、気にとまった短歌
数学の教師の口癖「非常に」をカウントしてるだけの生徒だ (仙台市)工藤吉生