
(大阪飛田の元遊郭「百番」。日本建築材料協会のHPより引用。)
温泉地は聖地でしたから、温泉旅館は上の遊郭建築のような玄関をもつようになりました。
それに倣ったのか、銭湯も同じような作りの玄関が多かったですね。名称も「○○温泉」と名乗る銭湯がいくつもありました。(私が学生時代に通った銭湯は、名古屋にあるのに「東京温泉」といいました。)
別府温泉には明治時代から陸軍病院がありました。温泉で病気や怪我をゆっくり癒そうとしたのでしょうね。1931年(昭和6年)には九州帝国大学が別府に温泉療法研究所を建てて、温泉の医学的な効果が研究されました。
むかしの人はものすごい労働をしていましたから、温泉地でゆったりすることはストレスから解き放たれる唯一の機会だったでしょう。とうぜん病気もよくなります。
ところがそれが、温泉水に含まれる成分のおかげだと「誤解」されてしまったのですね。現在でも多くの人が、温泉の効能はお湯の成分にあると思い込んでいます。(もしそうだったら、タンクローリーで温泉水を都会に運んでくる医療者が必ず出てくるはずなのに、出てきません。)
結核の人などが空気がよい田舎で静養する「転地療養」というのが、むかし流行りましたが、湯治は「転地療養」のひとつで、温泉成分の問題ではなかったのです。
(「湯治の宿」というのが私が幼いころにありました。そこには、ごちそうや芸者はなく、湯治客は自分で食事を作ったり洗濯をしたりして、廉価に過ごしたのでした。)
※今日、気にとまった短歌
わたしには大きい自転車このサドルあなたの高さとおもうとうれしい (東京都)平岡淳子