小田実氏が死去した。ご冥福をお祈りする。
小田実の名前が世に出たのは、1961年「何でも見てやろう」という本だった。当時、私は中学生だった。少年のころからベストセラーは読まないというツムジ曲がりの私は、このベストセラーを読んでいない。
本の内容は、一日1ドルで世界中を放浪した旅行記であるらしい。当時は海外旅行は自由化されておらず、私たちはTVの「兼高かおる世界の旅」くらいで海外の巷を見るしかなかった。
その時代の海外放浪記が「何でも見てやろう」である。海外旅行と言うよりも、ほとんど冒険である。
それはそれで、青年の挑戦魂が感じられてよかったのだが、私が怪訝に思ったのは小田氏が「ベトナムに平和を市民連合」(通称・ベ平連)に関与してきたことである。
そのころは学生運動が盛んで、私も大学生になっていた。ただ、学生運動や「ベ平連」の活動に疑問を感じていた。要するに安全なところから平和を唱えているだけではないか。そんなことは誰でもできる。
なぜ、世界放浪青年が平和活動なのだろう。小田氏のそこが私には分からなかった。「ベ平連」という週刊誌まで創刊された。私は読まなかった。いずれ廃刊になると思っていたら、すぐに廃刊になった。
その時の私の小田氏に対する評価は、ファッションに敏感な人だなということである。自己愛が強い人である。
死者へのたむけの言葉としてはいささか不謹慎かもしれないが、「一時代が去ったというよりも、うるさいのが去った」という感じである。小田氏は少なくとも私には何の影響も与えなかった。
小田実の名前が世に出たのは、1961年「何でも見てやろう」という本だった。当時、私は中学生だった。少年のころからベストセラーは読まないというツムジ曲がりの私は、このベストセラーを読んでいない。
本の内容は、一日1ドルで世界中を放浪した旅行記であるらしい。当時は海外旅行は自由化されておらず、私たちはTVの「兼高かおる世界の旅」くらいで海外の巷を見るしかなかった。
その時代の海外放浪記が「何でも見てやろう」である。海外旅行と言うよりも、ほとんど冒険である。
それはそれで、青年の挑戦魂が感じられてよかったのだが、私が怪訝に思ったのは小田氏が「ベトナムに平和を市民連合」(通称・ベ平連)に関与してきたことである。
そのころは学生運動が盛んで、私も大学生になっていた。ただ、学生運動や「ベ平連」の活動に疑問を感じていた。要するに安全なところから平和を唱えているだけではないか。そんなことは誰でもできる。
なぜ、世界放浪青年が平和活動なのだろう。小田氏のそこが私には分からなかった。「ベ平連」という週刊誌まで創刊された。私は読まなかった。いずれ廃刊になると思っていたら、すぐに廃刊になった。
その時の私の小田氏に対する評価は、ファッションに敏感な人だなということである。自己愛が強い人である。
死者へのたむけの言葉としてはいささか不謹慎かもしれないが、「一時代が去ったというよりも、うるさいのが去った」という感じである。小田氏は少なくとも私には何の影響も与えなかった。