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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

名板前の廃業

2013-07-19 05:05:53 | 食べ物
 戦前から腕利きの板前として有名だった職人が、戦後のある時期(1958年)に一斉に辞めてしまったという。

 この年は調理師法が施行された年で、板前にも調理師免許が推奨された。名人とよばれた板前の多くが、調理師免許を取得できなかった。

 なぜかというと、板前たちはペーパー試験に歯が立たなかったからだ。彼らは修行と経験で生きてきたから、机上の知識はなかった。ペーパー試験の科目は、文化概論、衛生法規、栄養学、食品学、公衆衛生学、食品衛生学、調理理論の7科目である。

 料理店主には調理師を置くことが「推奨」されたけれども、義務ではなかった。また、調理師の免許がなくても客に有料で料理を供することはできた。

 それなのに、なぜ名だたる板前たちが包丁を置いてしまったのか、そこまでは私も知らない。

豊橋の安居酒屋

2013-07-08 05:15:06 | 食べ物
 テレビで俳人の吉田類さんが案内人をしている「酒場放浪記」という番組を見ているとは、いつぞや書いた。毎週月曜日の夜9時から、BSのTBSでやっている。すべて再放送だ。

 吉田さんが安居酒屋に行って、大したことのない料理に「さすがマスター、本場仕込みだ」なぞと世辞を言って、つまらない料理をさもおいしそうに食べる、ゆるい番組である。どうしても見なくてはならない番組ではない。だが、最後に俳句で締めるから、番組全体が俳文のようで、なんとなく見てしまう。

 同じようなことを豊橋で実行しようとすると、そうはいかない。中心地からちょっと離れた居酒屋は常連のたまり場になっている。そんなところに私が行くと、異物でも入ってきたように好奇の目で見られる。そもそも常連たちは互いに近所で、ふだんから繋がりがある。

 私が一人で黙って呑んでいると、常連たちはたまらなくなって、「どこの人?」、「どこに住んでいるの?」と「身元調査」が始まる。

 そのようなわけで、豊橋では「酒場放浪記」を再現するのが難しいのである。

おいしくない串焼バーベキュー

2013-06-15 06:23:20 | 食べ物
 庭や浜辺に炉をしつらえて、バーベキューを楽しむ季節になってきた。ビール片手にわいわいやるのは嫌いじゃない。でも、バーベキューの串焼をうまいと思う人はいるのだろうか?

 野菜が焼けていても肉がナマだったりする。肉が中まで焼けると、野菜が焦げる。かたまりの肉を、あんなに強い火で焦がさずに中まで焼くことができるのだろうか?

 これまで、肉も野菜もほどよく焼けたバーベキューを食べたことがない。両方ともすっかり焦げてしまったこともある。

 バーベキューを一つの料理として見ると、作るのが極めて難しい。そもそも、焼串に刺された具を、すべて均等に焼くことは可能なのだろうか?

 あんなにおいしくない串焼バーベキューが、すたれないのは何故だろうか?ナマだったり焦げたりして、結果が予想できないところがかえって面白いと言うのは負け惜しみである。

 串焼バーベキューは、料理として無理があると私は思う。

ハイボールとウイスキーの水割り

2013-06-08 02:43:16 | 食べ物
 最近、ふたたびハイボールが流行っているのは、宣伝上手のサントリーの戦略である。かつて山口瞳や開高健を擁したサントリーの広告のうまさには昔から定評がある。

 ハイボールはウイスキーを炭酸で割ったチュウハイのようなもので、私が幼少時代からあった。角瓶ではなく、トリスで作ることが多かった。トリスはお世辞にも美味しいとは言えなかった。当時、角瓶は高級品だった。亡父が大事そうに角瓶を買ってきた覚えがある。ハイブローな人は、角瓶よりもう1ランク上のダルマを飲んだ。

 サントリーは自らのウイスキーをスコッチと呼んでいた。本場のスコッチはものすごく高価で、ジョニ黒が8000円もした。今の価格にすると8万円くらいの感覚だ。それがどんどん安くなって、私が酒を飲むようになったころには20分の1まで下がっていた。

 その頃、スコットランドのスコッチ組合は、サントリーがスコッチと名乗って売っている酒はスコッチではないと訴えた。味もそうだが、そもそも材料や製法が違うと。以来サントリーは自らのウイスキーをスコッチとは名乗らなくなった。

 その後、本物のスコッチを飲む機会があった。サントリーのウイスキーとは似てもつかぬほど美味しいものだった。その時初めて、ハイボールはサントリーウイスキーのまずさを誤魔化すための方策だったのだと知った。

 イギリスのスコットランドに行ったとき、バーで水割りを注文した。水割りのことを「ウイスキーアンドウオーター」と言うのだと教わっていたので、そのように注文した。そうしたら出てきたものは、ウイスキーにごく微量な水と氷が入ったものだった。すなわち、ほとんどオンザロックというよりストレートだった。本場ではウイスキーを薄める習慣はないのだと分かった。

 日本のバーでは普通にウイスキーの水割り作ってくれる。ハイボールも作ってくれる。上等なウイスキーも、平然と水で割られる。希釈の度合いは、しばしば10倍以上に及ぶ。スコットランドの人から見れば、信じられないような飲み方だろう。

 日本に水割りが浸透したのは、これまたサントリーの普及活動によると思うのだが、どうか?

点心の有名店・ディンダイフォン(鼎泰豊)体験記

2013-05-18 00:19:28 | 食べ物
 日本の各地にディンダイフォン(鼎泰豊)という点心の店がある。その本店が台北にあるというので、今回の台湾旅行のときに行ってみた。

 店の前にすごい行列ができているので驚いた。待つこと20分でマイクで呼び出された。呼び出しの声の半分は中国名、半分は日本名だった。中国名のうち、どれが台湾人で、どれが大陸人かは分からなかった。

 行列を作っているうちから注文書きに書き入れて、店に入るとすぐに品物が出てくる仕組みだ。ショウロンポウとニクマンとワンタンとチャーハンを頼んだ。

 名物のショウロンポウは、どんどん作っているようで、注文が入るなり品物が出せるようになっている。このショウロンポウはおいしかった。値段は日本のディンダイフォンで食べる品の半分以下の感じ。

 ニクマンは野菜入りと肉入りを注文した。野菜入りには野菜だけが入っており、肉入りは肉だけだった。なんだか、あっさりしすぎていて、もの足りなかった。大阪の豚マンのほうが、肉と野菜の両方が入っており味も複雑でおいしいと思った。

 ワンタンには残念ながら、私が苦手な香りが目いっぱい付けられていた。詳しい人に聞いたら、この香りは八角だという。日本人が苦手な香りだそうだ。八角が入っていると、どんな料理もすべて同じような味になってしまう。

 チャーハンは、日本の中華料理店のほうがおいしいと思った。飯がやや柔らかい。だから、サラサラバラバラになっていない。

 値段を無視すれば、神戸元町の点心専門店のほうがうまいと思った。元町のほうは日本人の好みを知り尽くしているからだろうか?店の調度や料理の色合いにも配慮が施されていたが、台北のディンダイフォンには、そのような心づくしがなかった。

 台北の店のテーブルや椅子は、日本の昔の学食のような機能オンリーな造りだった。とにかく、列をなして待っている客を店に入れて、芸がないテーブルとイスに付かせ、待たせずに料理を与えて追い出すという感じだった。回転優先なのである。

 ゆっくりと食事を楽しむという雰囲気ではなかった。勘定の時にクレジットカードが使えなかった。早く現金化したい、クレジットカード会社に手数料を取られるのはまっぴらだという感じが見え見えだった。

 あ~ぁ、日本に勝てる料理店なんてないな、とつくづく思った。

滅びゆく立食い寿司屋

2013-03-25 02:46:55 | 食べ物
 寿司をベルトコンベアで運ぶ寿司屋は、すでに昭和40年代には存在したらしいが、回転寿司として全国的に普及したのは、ずっとあとのことである。

 回転寿司よりも先に、廉価な寿司をテークアウトさせる寿司チェーンが全国的に広まった。時代はまだ平成になる前である。

 私が名古屋に住んでいたころ、近くにその寿司チェーンが進出してきたので買ってみた。それが、あまりにまずいので驚いた。寿司と呼べるようなシロモノではなかった。ネタを云々する前に、シャリ(ご飯)がべちょべちょなのだ。あたかも水でも一回かけたようなシャリだった。その店では二度と買わなかった。

 回転寿司が百円寿司として、どんなネタを食べても百円という触れ込みで開店したのは20年ほど前だっただろうか?

 その回転寿司に新卒の医者たちが喜んで行くので、一回付き合った。テークアウトの寿司屋よりシャリがましだったが、どうしても百円でまかなえるネタには限界があった。それっきり私は回転寿司には行かなくなった。

 現在馴染になっている普通の寿司屋は、そのころ見つけた。だから、その寿司屋の娘が幼児だったころから嫁に行くまで全部知っている。20年間通って気が付いたことがある。それは、若者が寄り付かないことだ。つまり、新たな客層を獲得できていない。

 息子に聞いてみると、普通の寿司屋のカウンターより回転寿司のほうが落ち着いて食べられるという。板前と対面ではかえって気を使うし、なによりネタが「時価」というのが怖いのだそうだ。なるほど、もとっもである。

 そこで再び回転寿司に行ってみた、そうしたらすべて百円という形式はすでになく、ネタごとに値段が違っていた。それでも普通の寿司屋よりも安い。もっと驚いたことには、その寿司がけっこううまいのである。

 既存の寿司屋が若者を引き付けないわけが分かった。でも、既存の寿司屋は回転寿司より下のネタを使うことは、寿司職人の誇りにかけてできないだろう。こうして、銀座などの一部の高級店を残して、並みの寿司屋は回転寿司に淘汰されるだろう。

 そして、カウンターをはさんで板前と話をしながら食事を楽しむという、世界に類を見ないわが国の食事形態は、私たち常連客が滅びるのに合わせてあと10年あまりで滅びるだろう。

スープは音を立てて飲んではいけないのか?

2013-03-19 04:23:56 | 食べ物
 むかし、スープを飲むときには音を立ててはいけないと教わった。少年の私は、そんなこと可能だろうかと思った。音を立ててすすらなければ、熱くて飲めないではないか?

 しばらくして、スパゲティーも音を立ててすすってはいけないと教わった。蕎麦のたぐいは、すすって食べるからおいしいのではないか?

 自前でフランス料理を食べられるようになってから、スープとは熱いものではないと知った。これなら、すすらなくても飲める。

 スパゲティーもすぐに冷めてしまうので、音を立てずに食べることが可能だと分かった。でも、うどんや蕎麦で育った私は、スパゲティーも音を立てて食べなくてはおいしくない。日本人はそれがマナーだからという理由で、熱くても音を立てずにスパゲティーを食べている。

 いつぞやこの欄に書いたが、そもそも西洋人は、すするという動作ができない。そのためラーメンをすすって食べることができず、ラーメンが十分冷めてから(すなわち麺が伸びきってから)音を立てずに(立てることができずに)食べている。あれでは、おいしくもなんともない。

 西洋人ができないことをすると(音を立ててすすると)マナー違反というのは、おかしい。料理の温度が違うのだ。

 味噌汁は世界でもっとも熱いスープだという。当然、音を立てなければ飲めない。和食がいま世界でブームである。それなら、食べ方も世界的になるべきで、すなわちすする食べ方を西洋人は認めなくてはならない。日本人も西洋料理を堂々とすすって食べるべきである。

 イタリアで音を立ててスパゲティーを食べると、いっせいに振り向かれるという。彼らの文化にない食べ方だからだ。でもここは日本だから、私は一人なら、すすってスパゲティーを食べる。娘と一緒に食べるときは、娘が恥ずかしがるから仕方なく音を立てずに食べている。

激辛料理

2013-03-15 00:30:21 | 食べ物
 1980年代に激辛ブームというのがあった。極端に辛いカレーや唐辛子を一面にまぶした煎餅などが売り出された。かなりの人が激辛料理に「挑戦」した。それは食べることを楽しむというより、「挑戦」という感じだった。罰ゲームというかマゾヒズムというか、とにかく自虐的だった。

 それらの食品は私にはとても食べられないほど辛かった。激辛ブームの導きがあって、それまでマイナーだった辛い韓国料理や四川料理が、その後すんなり受け入れられたように思われる。

 四川料理を筆頭として、インド料理、タイ料理も辛いそうである。四川料理の麻婆豆腐や担担麺は辛くて私には食べられない。

 これらの料理がなぜ辛いのか、たいていその料理が発達した地域の気候に帰せられる。盆地で高温多湿だからなぞといわれる。でも、それだったらハンガリー料理が辛いことの説明がつかない。

 私が思うに、辛い料理は辛さで素材がおいしくないことをごまかしているのではないか?辛い料理は辛さで味が分からなくなる。別の料理が出ても、辛さのために区別がつきにくい。区別がつくとしたら、それは香辛料の違いである。

 これらの辛い料理を、動物は食べることができるだろうか?実験してみたら面白い。私はたぶん動物は食べられないだろうと思う。

 動物が辛くて食べられないものを人間が食べられるのは、その辛さに文化依存性があるからである。文化はしばしば本能を凌駕する。

イカの刺身

2013-02-13 02:44:07 | 食べ物
 昔は寿司屋でイカの握りを頼むと、すべて煮たイカ(煮イカ)だった。当時はいろんな寿司ネタに火が通されていた。冷凍技術が発達していなかったからだと思われる。煮イカには甘いタレがかけられていることもあった。

 やがて握り寿司のイカに生の刺身が使われるようになった。家庭にも電気冷蔵庫が普及してきたころだ。煮イカよりも生のイカのほうが高級に見えた。寿司屋がみな右へ倣えをしたから、昭和40年ころに煮イカの握りは絶滅してしまった。それは高度経済成長と軌を一にしていた。

 寿司はすでに高級品だった。志賀直哉の「小僧の神様」の時代から、寿司はある程度高級品だったが、まだ屋台で売っていた。屋台が店にまで高級化したのは、いつごろのことか私は知らない。

 少なくとも私が子供のころは屋台の寿司屋というのはもうなかった。銀座の九兵衛という寿司屋が考案したと言われる軍艦巻きはすでに存在していた。軍艦巻きは寿司の革命で、これまで握れなかったウニやイクラを寿司ネタにすることが可能になった。

 イカの握りは当初、スルメイカを使用することが多かった。スルメイカは元来煮たり干したりするもので、生で食べるときわめて硬いものだった。それを、刺身で食べられるようにとイカソーメンなどが工夫されたが、それでも硬かった。

 そのためかどうか知らないけれども、ヤリイカやモンゴウイカが寿司に使用されるようになった。

 私が自腹で寿司を食べられるようになってから、ヤリイカよりモンゴウイカのほうが、肉厚で噛みやすいと寿司屋に言ったら、「モンゴウイカは学校給食でフライにするイカだよ」と馬鹿にされた。なにをきどっているのだ、つい先だってまで、イカは硬いから煮て食うものであって、わざわざ刺身にして硬いのを我慢して食うような食材ではないと言いたかったが止めた。

 ついでケンサキイカやアカイカが刺身にされるようになった。アカイカはほんのり甘くて柔らかく実にうまかった。現在、私はイカの刺身はアカイカしか食べない。それ以外のイカは刺身には向かず、煮たり焼いたりフライにして食べたほうがおいしいからだ。

 寿司屋が談合したわけではないのに、握り寿司のイカが生のイカで統一されてしまったのは、なぜだろうか?こんなところに群衆心理の愚かさを感じてしまい、腹を立てるのは私が異常なのだろうか?

ブランド牛がうまくない

2012-11-28 03:44:40 | 食べ物
 旅行に出て、旅先にブランド牛の肉があると食べるようにしていた。松坂牛、飛騨牛、近江牛などは一般に称揚されているけれども、現地で食べたとしても、びっくりするほどにはうまくない。

 それに較べると、私が医者になりたてのころ、街のすき焼き屋でびっくりするほどうまい牛肉が出た。値段はものすごく高かった。(当時、薬屋によるこうした医者への豪華な接待は普通に行なわれていた。だんだん縮小されて、今年からゼロになった。)

 最近はブランド牛でも、昔の高級な普通肉ほどには感動しない。最初は自分の舌が肥えただけかと思っていた。

 その後、名古屋市食肉検査所にルートを持つ人がいて、検査所から直接、ブランド牛でもなんでもない牛肉を5キロほど買ったことがあった。(むろん合法的に。)

 この肉がものすごくうまいのである。昔、接待で食べさせてもらった牛肉の味である。香りが一際高く、これがほんものの牛肉の味だと思い出した。

 つまり、私の舌が肥えたのではなく、うまい肉が出回らなくなったのだと分かった。最高級の牛肉は、検査所段階まで遡らなくては手に入らなくなったのだ。

 ブランド牛にも同じことが言えるのだろう。ブランド牛の本当にうまい肉は現地でも市中に出回らないのではないか?だとすると、本当にうまい肉はどこで誰が食べているのだろうか?

 リンゴ農家が無農薬の本当にうまいリンゴは市場に出さないと聞いた。同じようなことが牛肉でも行なわれているのだろうか?

天ぷらに塩?

2012-11-25 06:38:23 | 食べ物
 いつのころからか、天ぷら屋に行くと、つゆで食べるか塩で食べるか訊かれるようになった。天ぷらに塩?怪訝に思ったが料理を工夫するのは悪いことではないので、塩で食べてみた。

 これが、おいしくない。だいたい、熱々の天ぷらが塩では冷めないではないか。とても食えたものではないので、天ぷらを塩で食べるのは止めにした。

 天ぷらのつゆの役割は、ころもの味を引き立てるためでもあるが、実は熱い天ぷらを冷ます意味もあるのだ。

 いつぞや書いたが、熱いつゆを出す店がある。それでもプロか?つゆが熱くては、天ぷらが冷めないではないか!そして何より大根おろしが煮えてしまうではないか!

 塩で食べさせようとしたり、熱いつゆを出したり、最近の天ぷら屋はなにを考えているのだろうか?

 天ぷらはやはり冷たいつゆで食べるのが最高だと再認識した。塩で食べる人は、いつも塩で食べているのだろうか?そのような人は、天ぷらを醤油で食べても平気なのだろうか?天丼も塩で食べるのだろうか?

 天ぷら屋も悪いが、塩に文句を言わない客も悪い。中には抹茶塩を出す店もある。何をきどっているのだ!天ぷらに抹茶をつけるなんて、どう考えても許せない。

料理専門の写真家

2012-11-19 06:10:18 | 食べ物
 雑誌やレシピ本には料理の写真がたくさん載っている。あの写真は編集部の人がテキトーに撮ったのではない。料理写真専門の写真家がいて、彼らの手になるものである。

 料理写真家はたくさんの食器を自前で持っている。そして、その料理にはどんな食器が合うか、どういう角度で写したら一番おいしく見えるかを考えている。(おいしそうに写るんだったら、料理にニスだって塗る。)

 編集部の人は料理の写真を料理写真家に依頼する。そうすれば、おいしそうな写真をきちんと撮ってくれる。そういう業界があるのだ。

 最近、自分が行った店の料理を写真に撮る人が多い。デジカメの普及によるものだろう。だが、出された料理を写真に撮るのは下品だと、六本木には料理の撮影禁止という店があるという。

 雑誌の料理写真をじっくり見た人は少ないだろうが、今度じっくりみてほしい。ほとんどの写真が逆光で撮られているはずである。つまり、食器の影が手前に映っている。このような撮り方がおいしく見せるコツらしい。

 ということは、素人さんが店で撮る料理写真は、デジカメのフラッシュを使うために、どうしても順光となって、プロの料理写真のようにはおいしそうには撮れない。

 料理写真家がどうしてそのような仕事を選んだかというと、芸術写真家や人物写真家になれなかったからだ。篠山紀信のようになろうとして、なれなかったのが彼らである。

 だから彼らには鬱屈したものを心に持っている。その怨念が、おびただしい数の食器を集めさせ、料理がもっともおいしく見える角度を探させるのだ。

 でも、一流の料理写真家となると、かなり実入りがよいらしい。篠山紀信のように有名にはなれなくても、けっこういい生活ができるようである。どんな世界にも一流の人はいるものだ。

握り寿司の味

2012-10-31 14:24:32 | 食べ物
 通ぶるわけではないが、私の妻子や兄弟が寿司の味をあまりに知らないので、すこし解説してみる。

 寿司の値段はネタで決まることは誰でもご存じだろう。前回も書いたように、寿司が一番安くて美味いのは東京である。東京の寿司屋が築地でいいところを取ってしまったカスが地方へ流れる。(地方で取れたネタでも、一度築地を通してから地元に戻ってくる。不経済なことである。)

 魚は冷凍でよいのである。最近の解凍技術は発達していて、ナマ(冷凍していないもの)と区別がつかない。

 魚は香りである。香りで魚の区別が分かるのであって、味ではない。美味い寿司屋の魚は香りが違う。むろん生臭いのは論外である。

 次に食感。獲れたてが美味いわけではない。獲れてから数日たったほうが、細胞が自家融解してアミノ酸が多く、食感もよい。したがって、生簀の魚は新鮮なようでいて美味しくない。なぜかというと、細胞が自家融解していない上に、餌も与えられずに泳いで、やせ細っているからである。

 スジが多いのも駄目だ。スジが口の中に残ってしまう。これは食べなくても、見ただけで分かる。最近の大トロは皆スジがある。食べ心地を考えるなら、中トロのほうがよい。赤身でもよい。(昔はスジが目立たない大トロがあったらしい。)

 シャリ(ご飯)は、人肌に暖かく、中に小さな空洞があって、口の中で自然に崩れるのが最上である。ここが寿司職人の最高の腕の見せ所である。ネタのほうは、技というより目利きが重要である。ときどき、シャリを握り締めてしまって、おにぎりのような寿司屋があるが、これは腕が未熟な証拠。逆に握りがゆるすぎて、すぐにネタが取れてしまうのも駄目。

 ネタとシャリがうまくくっついているかは職人の腕である。せっかっくくっついているネタをわざわざはがして醤油をつける人があるが、それだったらちらし寿司でも食べていて欲しい。

 最後に、美味い寿司屋の見分け方。かんぴょうが美味い寿司屋は他のネタも美味い。かんぴょう巻きは寿司の基本だと私は思う。

寿司屋の二極分化

2012-10-31 13:34:21 | 食べ物
 昔は町のうどん屋でも家庭では出せない味の品物を出していた。いま町にうどん屋はどれだけあるだろうか?先代が亡くなれば2代目の味は確実に落ちた。丁稚から叩き上げたのではないからだろう。料理もピアノやバイオリンと同じで、幼いころから仕込まれないと上手にならないようだ。

 町の寿司屋はいま絶滅の危機にある。だいたい美味い寿司屋がない。東京は物価は高いが、こと寿司に関しては日本中で一番安い。築地が近いからだ。その東京で町の寿司屋が美味しくなくなった。その上、値段が最後まで分からないような商売形式で商売していれば、若者に嫌われるのは必定だろう。

 一方、回転寿司や宅配寿司の台頭が目立つ。そしてまた、回転寿司も宅配寿司も、かつてより美味しくなったのだ。だから、若者はカウンターの寿司屋よりも回転寿司や宅配寿司を好むようになって、いまカウンター形式の寿司屋で若者の姿を見ない。新しい客を補充しなければ、早晩カウンター形式の寿司屋は滅びる。

 ただ、銀座などではカウンター形式の寿司屋が健在である。とても高い値段である。寿司屋は二極分化した。一方は高級に流れ、他方は回転寿司、宅配寿司となり、中間がなくなった。中間のカウンター形式はもうじき滅びるはずだ。

 この30年ほど、中間のカウンター形式の寿司屋も不味くなった。回転寿司と同等かそれ以下である。2代目は駄目なのだ。

 私の馴染みは中間の寿司屋で、すばらしく美味い。だが、その店も跡継ぎがおらず、親父と共に姿を消すだろう。その親父が先に死ぬか、私が先に死ぬか較べっこである。

ビールの味

2012-10-09 03:49:01 | 食べ物
 私が幼少のころビールといえばキリンだった。アサヒ、サッポロは亜流だった。当時はキリンがブランドだった。だから、値段が同じなら圧倒的にキリンで、シェアもキリンがダントツだった。

 長じてビールを飲むようになり、よくよく味わったが、キリン、アサヒ、サッポロの違いがやはり分からなかった。こうして、皆ビールをブランドで選んでいることがはっきりした。(「モルツ」などのドイツビールはまた別で、これははっきりと味が違う。)

 30年ほど前、アサヒがスーパードライを発売した。これが爆発的にヒットした。しかし私には、どこがこれまでのビールよりおいしいのか分からなかった。漫画「美味しんぼ」の作者は登場人物に「金属の匙をしゃぶったときの味がする」と言わしめた。むろん、そのセリフには批判が込められていた。

 おりしも、キリンが中瓶(500ml)を発売したころだった。中瓶は料理屋で重宝された。なぜかというと、中瓶なのに大瓶の値段を取れたからである。大瓶を置かず、中瓶だけしか置いていない店も出てきた。こうしたあざとさにより、キリンが人気を失なってきたところにスーパードライがヒットして、キリンは大いにシェアを落とした。もともと味の違いがないのだから、ムードで売り上げが左右されたのだ。

 最近ノンアルコールビールが売り上げを伸ばしている。これも各社の味の違いが私には分からない。それより、そもそも本物のビールとの違いが分からない

 私が味音痴だといってしまえば、そうなのかも知れないが、上の話に同意してくださる方も多いのではなかろうか?