誰にも失敗はある
2013-08-24 07:53:39 | Weblog
「相性そして教えること」8月18日
スポーツ面の片隅に『シャラポワ、コナーズ・コーチとの関係解消』という見出しの小さな記事が掲載されました。
記事によると、『マリア・シャラポワが、新コーチとして迎えたジミー・コナーズ氏との師弟関係をわずか1試合だけで解消』したのだそうです。
その理由として、『シャラポワは声明で「ピッタリと合う関係ではなかった」とした』とも報じられています。事実、シャラポワ選手は、コナーズ氏をコーチとして臨んだ大会で初戦負けを喫しています。
この記事から私はいくつかのことを感じました。まず、歴史に残る名選手であったコナーズ氏であっても、良いコーチ、指導者になれるとは限らないということです。私がこのブログで繰り返し主張してきた、ある分野における専門性とその分野について教えることはイコールではないということの象徴的な例だと言ってもよいと思います。
次に、「相性」ということです。シャラポワ選手もコナーズ氏も、テニス界では共に「超」の字がつく一流選手です。コナーズ氏を教員、シャラポワ選手を子供と置き換えてみたとき、シャラポワ選手は、才能も意欲もある学び手であるということができます。いわゆる優秀な子供です。しかし、そんな子供でも、教員との「相性」が悪ければ、成果は上がらない(初戦負け)なのです。しかも、この「相性」は、理屈では説明できないものです。2人は、共にベースラインからのラリーを特異とするパワーヒッターというプレイスタイルですし、バックハンドの両手打ちという共通点もあります。すなわち、有効なアドバイスを受けやすい関係にあったはずなのに、うまくいかないのです。
今回の解消劇が、そのままコナーズ氏のコーチとしての能力を否定するものではないと考える人が多いことでしょう。そうなのです。人を教える能力というのは、一度だけの結果で評価できるようなものではないのです。教員の授業力の評価の難しさはそこにあるのです。授業力のある教員が、ある学級を担当したとき、それなりに努力したにもかかわらずうまくいかず、たいした力もない教員でも何だか上手くいってしまうということはあるのです。
今後、コナーズ氏が数多くのコーチ経験を重ねたとき、トータルでみて初めて評価が定まるのだと思います。教員評価にも、一定期間での平準化という発想が必要です。
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