東京湾の中間地点の、巨大な海ほたるパーキングエリアです。
海底トンネルの高速ハイウェイを上がったところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0f/d2a13fc29e5a121e2ce6395637c7b854.jpg)
何かをジーツと頑なに握り締めている、それは絶対に
離したくないものです。
例えば写真かも知れないし、形見の品かも知れません。
なんでもいいのですが、すべてはその品の「思い」と
いうことですね。
つまり姿かたちの無い「幻想」ということです。
ですから「幻想」を掴むと、“無い”ものを「在る」と
することですから迷いの中に入りこむことになるのです。
しかし亡くなった祖先の思いなど、事実にはまったく
“何も無い”のですから、“今この瞬間”に浮かんでは
消えて行くものです。
この様に祖先も自分もすべてのものは、姿かたちが在って
無いという“今この瞬間・無思考”が真実ということです。
このことを、私(思考)が必死に理解しようとしても
理解はできません。
なぜなら私(思考)がすべてのことを創作し、
それを否定するという訳のわからないことをしているからですね。(笑)
ですから頭脳に頼らないで、偉大なる“本能”にすべては
任せるということです。
例えば、生きてから死ぬまで心臓は一時も休まず、そして
血液も流れているのが“本能”ですね。
これを私(思考)しかいないから、頭脳がやっているとして
迷いの中にいるのです。
これに一時も早く“目覚める”よう、只やっているのが
弛まぬ“只なる実践”の持続です。
海底トンネルの高速ハイウェイを上がったところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0f/d2a13fc29e5a121e2ce6395637c7b854.jpg)
何かをジーツと頑なに握り締めている、それは絶対に
離したくないものです。
例えば写真かも知れないし、形見の品かも知れません。
なんでもいいのですが、すべてはその品の「思い」と
いうことですね。
つまり姿かたちの無い「幻想」ということです。
ですから「幻想」を掴むと、“無い”ものを「在る」と
することですから迷いの中に入りこむことになるのです。
しかし亡くなった祖先の思いなど、事実にはまったく
“何も無い”のですから、“今この瞬間”に浮かんでは
消えて行くものです。
この様に祖先も自分もすべてのものは、姿かたちが在って
無いという“今この瞬間・無思考”が真実ということです。
このことを、私(思考)が必死に理解しようとしても
理解はできません。
なぜなら私(思考)がすべてのことを創作し、
それを否定するという訳のわからないことをしているからですね。(笑)
ですから頭脳に頼らないで、偉大なる“本能”にすべては
任せるということです。
例えば、生きてから死ぬまで心臓は一時も休まず、そして
血液も流れているのが“本能”ですね。
これを私(思考)しかいないから、頭脳がやっているとして
迷いの中にいるのです。
これに一時も早く“目覚める”よう、只やっているのが
弛まぬ“只なる実践”の持続です。