只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

なによりも今、今、今の実践ですね。

2018-02-18 06:43:25 | 日記
この“実践道”で間違いやすいのは、私(自我)にとっての
当たり前のことを“実践”するということです・・・

ではなくて、思考無き自然のままを“実践”すると
いうことです。

そこには私(思考)がいないということですね。

私(自我)にとっての“実践道”は、当たり前のことが
曲がったもので「よくなろうとする」ことです。

今がよくないから、「よくなろう」と努力する「思考世界」ですね。

繰り返し述べていますが、“事実の今”によくないなどは
無いし、また“今、只”には、よくないからよくなろう
などはどこにもありません。

ですから何もならないから、早く気付いて“只、やる!” 
ことです。

“只、やる!”ことに意義を唱えるから、問題が出てくる
のですね。

最初は仕方ありませんが、除々に何も思考せずやっている
ことと、“ひとつ”になると“お気楽”になって来るのです。

気の向くまま、身体が動くままにということです。

しかし私(自我)が出てくると、なにもかもが
「しっちゃかめっちゃか」となり、取り止めがつかなく
なってくるのです。(笑)

頭の中が混乱して余計なものに飛び付くということです。

繰り返し述べていますが、“本来”は頭の中は“空っぽ”
ですから、そこに還り着く様“只なる実践”を持続しているのです。

余計なものに飛び付かなくなると、
穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地が訪れるのです。