只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

私(自我)をコントロールするのが“実践道”です。

2018-02-06 07:54:01 | 日記
私(思考)は言葉に左右されるのですね。

言葉を毎日使っていますから、それが本当であると
信じて疑いわない状態になっているのです。

例えば砂糖を「辛い」と言ったら間違いになるのです。
そして素麺を「黒い」と言ったら間違いになるのです。

しかし事実は、それがそれであることに何ら変わりようが
ないのですから、何と言ってもいいのですね。

言葉は、当たり前でない『例え』であることですから、
そのことを知っている人は言葉を自由自在に
使うことができます。

つまり嘘でも本当でもないということですね。

ですから 言葉は頭の中に在っても無くてもいいと言うことです。

でも、私(自我)はそんないい加減なことは許さないから、
苦悩になってくるのです。

この世界で未知と言われる果物が在るとしますと、
その味は「美味しいはず」と『不味いはず』に分かれるのです。
または「わかりません」になるのです。

何と言っても私(自我)は「幻想」ですので、事実が無い
からどこまでいっても本当の事がわかりません。

事実は食べてみてその舌の感触で、やってきては
消えて行くものです。

そこには言葉という「幻想」はありません。

“只なる実践”も只やり続けてみて、そこに訪れてくる
ものが“本来”という輝かしいものです。

ですから真実は“今この瞬間・無思考”ということですね。

今、今、今とやっていれば、思考無しの“本来の今”に
目覚めて来ます。