只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“実践”がなにより大事です。

2018-02-05 08:00:50 | 日記
心に見えないものが“真実”です。

それが“一心”とも“無心”とも“真心”と呼ばれるのです。

ですから私(思考)には、なんのことやらさっぱりわからないということですね。

しかし、わかるのは、私(思考)が消え去った後に
現れるものです。

そして「本当かよ・・?」と瞬間に現れるものが、即座に
“真実”を打ち消すのですから永遠にわからないと
いうことです。

ですから苦悩から脱出する本気度が無ければ、“本能”は
動かないということです。

なぜなら、強大なエネルギーの「思考自我」が
真の自分”を覆い隠しているからです。

このことは目には見えないから、ほとんどの方がわからず
逆に「何を訳のわからないことを言うんだ!」と
怒る方もいるのです。(笑)

ですから二重にも三重にも、鉄の扉に鍵を掛けているのが
私(思考)であると言うのが実情ですね。

でもそれはすべて想念ですから本当は“何も無い”のです。

空から浮かんだ今の心を掴まなければ、鉄の扉は
そもそも“無い”ということです。

今の心を掴むことは、底のない泥沼まで引き連れて行く
のが、強大なエネルギーの「思考自我」ということです。

しかし、空から浮かんだ念に取り付かなければ、
考え思いに繋がらないということです。

この空念を掴まない“”が、弛まぬ“只なる実践”の
持続です。

真剣に実践をやっていくうちに空念も少なくなり、
今、只”が現状してくるでしょう。