只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

また失敗か~と落胆しないでください、失敗も成功もありませんから。笑

2017-07-31 09:46:28 | 日記

私(思考)は頭の中で、何でも即飛び付く癖が
あるのです。

これは「執着」という強力な磁石で、引っ付いたらなかなか
離れられないのですね。

この離れられることの出来ない「執着」を、二度と
引っ付かないようにするのが“只なる実践”の持続です。

つまり「執着」という強力な磁石の、磁力を完全に
抜く作業です。

「執着」を完全に抜く作業の結果は、例えば鉄板に
磁力の無いプラスチックを当てても直ぐ落ちると
いうことになります。

ですから頭の中が穏やかになり“空っぽ”と
いうことです。

これを理解するだけではなく、“実践”で感じ切って
ください。『あ~なるほどな~』と言わなくても、
その時が必ず訪れるのです。

おわかりになっているとは存じますが、「執着」は
「思い込み」で幻想ですから、実体は“無い”のです。

その“無い”ものに、心は振り回されているのですから
心配、迷い、不安、苦悩、恐れになってくるのですね。

ですから事実には「思い込み」はなく、それはそれであり、
これはこれで、要するに思考は無いということです。

生まれてから長年に渡り、頭脳から支配されてきましたから
幻想世界のことはわかりますけど、その苦の世界から
脱出して本当の世界に“目覚める”ことは、並大抵のこと
ではありません。

が、しかし“只、今”が本当の世界ですから、歴然として
目の前にあるのです。

その“真実”を頭脳で覆い隠しているから、目の前に
あるものが幻想になるのです。

ですから私が自分に成り、私が「思考自我」で幻想と
言うとおかしく感じるのですね。

とにかく自分に対する「執着」があるかぎり、頭脳は
それを離そうとしませんから、開放に向けて
弛まぬ“只なる実践”の持続です。

汗びしょりの作業ですが、そんな事はお構い無しです。笑

2017-07-30 09:25:04 | 日記
悩み、心配、迷い、戸惑い、情けなさ等、これらすべて
幻想だったのか!

喜び、楽しみ、嬉しいことなどこれら
すべて幻想だったのか!

只なる実践”を持続していると、
これらすべて「思考自我」が創作していたとの
『気付き!』がやって来ます。

この『気付き!』を、更に念入りに掘っていくと
真の自分”に目覚めてくるのです。

只、今”に目覚めれば、自由奔放で“大自然のまま”と
いうことですね。

これをやっちゃダメ、あれは善いことかな~などの
善悪のブレーキが無く、“真心のまま”ということです。

若干でも不信感があるようでしたら、
さらに“只なる実践”を継続してください。

只なる実践”の継続で、思考には浮かばない
素晴らしい事が事実に起こってきます。これが嘘か真かは
やり続けた人が感じることです。

ですから、こんなことは考えず思わず、“只、只、只
やることをやり、やっていることも知らずやることが
只なる実践”の秘訣です。

頭脳は必要ですが、頭脳に頼ったら迷宮入りですね。

2017-07-29 09:08:33 | 日記

思い考えは、過去で幻想で“”にはありません。

もちろん未来も現在も、“今この瞬間”という 無思考には
存在しません。

ですから“今”という事実が、今、今、今と流れて
いるだけで他はありません。

私(思考)という幻想から覆い隠された、
今、真実、真の自分”という“真心”は
永遠にわからないということです。

ですからいろんなことが出てくるのですね。
何か人生に対して、不思議さを感じるがどうすることもできない
辛くて、やることがうまくいかない
なんで、私は苦しさばかりだろう
思っていることの、逆ばかりがなぜ起こるのだろう
嫌な事が解決できないのはなぜだろう
なかなか楽しくできない
なぜ、あの人は私を嫌うのであろう
なぜ、世界は平和になれないのだろう
勤めている会社はなぜ給料が少ないのだろう

この様に私達は、なぜ?、なぜ?、なぜ?が多くて
憂鬱になり苦しんでいます。

それは私(自我)を自分としているからです。ですから
自分としている以上、どんな些細なことでも問題が
起きてくるのです。

また関わりの無い他人の事は、自分としていませんので
問題が無いのですね。

この“只なる実践”は、自分を徹底的に忘れることを
行っているのです。

忘じることを心配しなくても、喜ぶときは喜び、
怒るときは怒り、哀しむときは哀しみ、
楽しいときは楽しいと自然に流れているのです。

この様に“只なる実践”の持続によって、私(思考)という
幻想のベールが次第に解かされていくのです。

とにかく“”しかなく、厳密に言えばその“今”も
無く、いまいまいまいまと無常に流れているのです。

私は思考ですから、只を他人として見ているのです。

2017-07-28 08:57:58 | 日記

本当は“今この一瞬、一瞬”の世界です。

ですから、そこに自分があろうはずがないのです。

そのことを考えてもわからなければ、考えない方が
いいのですね。

なぜならば、思い考えることが路頭に迷うように
なっているからです。

この“真実の世界”は“”です。

思考を頼らなければ、この“只”から教えが来るように
なっているのです。

残念ながら「思考世界」にどっぷり浸かっている以上、
“真実の世界”は訪れないということです。

幻想で埋もれた奥底にいる“真の自分”は、純粋無垢で
例えば、綿でやわらかに包まれた光輝くダイヤモンド
みたいなものです。

苦悩、心配、迷い、戸惑い、情けなさ、喜び、楽しみ、
嬉しいことなど、これらすべて幻想で“真実の世界”には
何も“無い”のです。

事実と思っているこの幻想を断ち切らないかぎり、
永遠に幻想という「苦の世界」に入ったままと
言うことですね。

しかし“只なる実践”の持続が、幻想を少しずつ
溶かしてくれるのです。

それと同じく途轍もなく大きい氷山は、暖かな海水で
少しずつ溶け出し、本来の海水へと還って行くのです。

これは大自然の絶対法則であり、その通りということです。

ですから“只なる実践”の持続で、幻想なる思考を
打ち破っていきましょう。

普通に暑くてだるいと来るのは思考です、体を休めましょうね。

2017-07-27 09:07:26 | 日記

私(思考)は、これでいいのだろうか・・
あれでよかったのだろうか・・と考えるのです。

しかし、ここから先は「思考の迷宮」になります。

考えること、思うことには、問題も答えもありません。

どんなことでも良いも、悪いもありませんので
どれだけ考えても「答え」」は出てきません。

そもそも問題は私(思考)が考えたことだからです。
つまり、問題を創り正解を探す幻想ごっこをやっているのです。

ですからどうやってもエンドレスですから、どうすることも
出来ず「思考の迷宮」という苦悩に落ちいるのです。

では落ち着くには、何も“無い”ところに入れば
いいのです。

肯定することも、否定することも無いところ
本当の安心とは、「安心と不安」が無いところ
本当の幸せとは、「幸福と不幸」が無いところ
本当の自由とは、「自由と不自由」が無いところ
本当の愛とは、 「私もあなた」も無いところ

何も無い”とは、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」が
“無い”ということです。

頭の中で「在る」とするものは、それは真実では無く、
すなわち幻想だからです。

そもそも宇宙、大自然、神仏、真の自分は
“何も無い”のです。すなわち“縁と無常”ということです。

雨が降れば雨との縁、雨が降れば傘をさす縁、
雨が止めば傘をたたむ縁、このように縁は無常に
流れているのです。

それは頭への勉強の詰め込めで来るものでなく、“只なる実践”の
持続からくる感覚です。