只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日は小雨が降っていても、堤防の草刈です。笑

2018-05-26 08:27:56 | 日記
“縁と無常”の自然に、思考無くあるがまま生きているのが
“真の自分”です。


また、それを“純粋意識”と呼んでいます。

この、薄紙1枚離れているリアルな世界に還るため、
“只なる実践”を持続しているのです。

これにより、「私」という「思考自我」が1皮剥け、
2皮剥けて“行”くのです。

その段階は確実にわかってきて、“絶対安心”の境地へと
近づいてきます。

繰り返し述べていますが、“絶対安心”の境地は安心も
不安も無いところで、決定的に思考が動かないところと
言えます。

ですから私(思考)にはわからないのです。

考えが及ばないところですから、我の強固なものはそれを
嘘とも言い跳ね返すからですね。

でも創作したもので苦しくなると、神頼みをして助けて
もらおうとするのです。

非常に幻想ながら、間違いなく自己中心であるのです。(笑)

それが酷いものになると他人を殺したり、自分で自分を
殺したりするのです。

それは“真の自分”から遠く離れているからで、目には
見えないけど獣化しているのです。

この獣化している私(思考)を消し去り、“只!”に還ろうと
やっているのが“只なる実践”の持続です。

この“只!”の状態が繰り返し述べている通り、穏やかな
安らぎのある“絶対安心”の境地です。


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