只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日は山畑で、野菜作りを楽しみます。

2018-05-20 09:58:53 | 日記
この身体が、何時この世を離れるか誰にもわかりません。

そして死んだことも無いのに、「死」を恐れているのが
私(自我)ということですね。

生まれたら必ず死に向かっていきます。
これを“縁と無常”というのですね。

そして、大昔から人間も動物、植物等もあったのですが、
それらは当たり前で今はすべてありません。

無いのですが、今には当たり前ですが人間も動物、植物等もあります。

それに人間も動物、植物等も平均的に活動しているのですね。

今、今、今と1日前も、1年前も、千年前~~も
活動していたのです。

ですから時代が変ろうと“今”しかない!のです。

そうであるにも拘らず、“今”を嫌うのが私(思考)と
いうことです。

なぜなら私(思考)が過去であるからで、“今”を思い
考えることはできないからですね。

1秒前~~が過去という思考が働くところで、“今”は
“今この瞬間・無思考”という真実です。

“真実”は宇宙全体であり、砂粒のひとつでもあり、
すべてのものが繋がっていて切り離すことができません。

切り離されたものが私(自我)ということで、この世を
体験しているのです。

この世が私(自我)にとって「苦の世界」であれば、
無思考の世界に還って今、只”で過ごせばいいのですね。

とにかく生きているうちに、生も無ければ死も無い永遠の、
“空”であり“無”であり“神仏”そのものである、
“今”に目覚めるのです。


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