【暮れは忙しい、忙しいと心をいじめないないで
くださいね。
そんなのどこにもないのですから。笑】
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『本来は身と心とは不離一体です。本来は何も問題は起こらないのです。
縁の侭に滞ることなくさらさらと流れるように成っているのです。
対立も不平も不安もなく、淡々と「只」あるが侭に。
これが本来の様子です。
ところが言葉を覚え、分別が着き、観念操作を匠にするよう日常的な
訓練が身に付いたため、本来がすっかり覆い隠されてしまったのです。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
あるがままの自然の様子を仰っていますね。
ここが当たり前で、本来の様子で“真実”です。
ここに還るために“只なる実践”を行じているのです。
ですから何も難しいことでもなく淡々とやれば
いいのですが、厄介なことに“今”に無い過去や未来
の「思考癖」が、強大な力を持って邪魔をするのです。
この「思考癖」を煩悩とも言いますが、
これは人間しかありません。
あってもいいのですが、弱小で極小であれば
何の問題は起こりません。
しかし、あれやこれが欲しい
他より強くなりたい
お金持ちになりたい
他に負けたくない
儲けたい
貧乏は嫌だ
尊敬されたい
富豪に将来なりたい
他より早く、速くなりたい
他よりうまくなりたい…etc
この様に並べてみるといかに大変かと
いうことがわかります。
これらは事実には“無い”のですから、
思い考えなければ“それがそれ”で気楽なもんですね。
「長生きしたい…」なんて思い考えなくても
永遠の“真の自分”ですからそこに“目覚める”ことです。