只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

動くも動かないもなく“只”と言うことです。

2018-02-21 08:27:39 | 日記
私(思考)を、ジャッジしたり責めたりすると強固になって
いきますからしてはなりません。

浮かんできたら「思考自我」を、まったく相手にしない、
無視する、知らん顔する、触れない、放っておく、
遠く遠く離れることです。

空から浮かんで来た念を掴むと、すぐに偽自分を
持ち出して創作し、ジャッジしたり責めたりするからです。

とにかく、空から浮かんで来た念は「過去の自分」であり、
記憶であり間違いなく「幻想」です。

それを“自覚”へともっていくのが“只なる実践”の
持続です。

そんなの「信じられない!」と、頑なに否定しているのが
ご承知のとおり私(自我)ということです。(笑)

その様な私(自我)が頭に居すわる限り、永遠に心が休まる
ことはありませんね。

心の意識は眼にも止まらぬ速さ約0,01秒で動き、
それに追従して私(思考)が現れて来るのです。

なぜそれがわかるかですが、“只なる実践”を持続して
いるとスローモーションみたいに観えてくるのです。

ですから、生きているうち“心の平安”に還り着く様、
弛まなく何もしない“実践”です。

【私事ですが明日、明後日とあるメーカーの全国会議が
 ありますのでブログはお休みします。
 明日は東京のスウェーデン大使館で開催されます。】


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