只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

アッ!と言う間に月日は過ぎますが、常に“今、只”ですね。

2018-02-24 07:57:01 | 日記
この世には沢山の遵守すべきことがありますね。

事実の遵守は、その時その場の“今この瞬間”のみで
その他はありません。

しかし在るとする私(思考)は、規律、法律は大切である。

法律守るは常識・規律守るはまともですから規律、法律を
守らなければならない。

だから規律、法律を破ってはならないと思うのです。
これが「思考自我」を混乱させて更に追加するのです。

守らないのは許されない
破るのは許さない
罰せられるのは腹が立つ
守らないのは悪い
破るのは悪い
罰するのは悪い  罰しないのは悪い
守るのは良い
破らないのは良い
罰するのは良い  罰しないのは良い

この様に時と場合によって変るので、どっちとも
取れるように私(自我)は身勝手と言うことです。

ですから、私(思考)が在ることによって
激しくも緩やかにも心を揺れ動かされるのです。

本来、心というものは、“一心”あり“無心”であり
“真心”ということで、“ひとつ”の存在であって揺れ動くものではありません。

そこに還り着こうと今、今、今と“只なる実践”を持続
しているのです。