只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

呼吸に意識を合わせて“ひとつ”に成るのです。

2018-02-20 08:22:02 | 日記
自然界は当たり前のことが、永遠に流れ着くところもなく
当たり前に流れているだけですね。

それを不思議と思うのが「思考自我」ということです。

ですから問題を創り、それを解決しょうといつも努力して
いるのですけど、解決出来なくてどうしようもなくなって
苦悩に陥るというパターンを永遠に繰り返しているのです。

酷い時には攻撃という荒業まで創りあげるのです。
そしてニュースとか観ていると、
様々に「思考自我」が悲惨な状況を事実にしています。

例えば、暴力とか殺人とかの非人間的なものになるのです。
『あんな良い人が恐ろしくい凶暴なことをするのか!』というのも
私(自我)なのですね。

それは私(思考)というものが自己中心だからで、
自分を守るところから発生するのです。

ですから「思考自我」という《我》が、強ければ強いほど
問題が大きくなってくるのです。

私(自我)のいない “本来”は、『守るも守られる』もなく、
穏やかな安らぎのある100%“絶対安心”の境地なのです。

「思考自我」を、何も無い頭の中から消し去って“”くのが、
弛まぬ“只なる実践”の持続です。