只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“空っぽ”でも肝心なことは詰っているのです。

2018-02-13 09:53:02 | 日記
何か求めようする私(自我)が、人生最大の障害なのです。

なぜなら求めても“何も無い”からです。(笑)

「幻想」はここにありますと言うならばともかく、
事実に無いのですから“無いものは無い”としっかり
自覚”することが“実践道”です。

繰り返し述べていますが、“只なる実践”の持続は
難しいことでも容易いことでもありませんから、
ただ飽きがきて嫌になるのです。

私(思考)の困ったは、このなんでもない“只ひとつ”の
ことをやり続けることが出来ないのです。

ですから私(自我)を一旦消し去るには、実践という
“只ひとつ”のことをやり続けることなのです。

しかしやり続けることを私(自我)は、ピシャッ!と
肝に命ずることができないし嫌がるのです。

なぜ出来ないか?、なのですがそれは言わずも知れた
「幻想」だからですね。(笑)

繰り返し言ってる通り、事実には出来るできない、
嫌がる好むなんてのは“何も無い”からです。

ですから私(思考)に出来っこないというのが実情ですね。

“只なる実践”は、私(思考)無くひたすらに今、今、今と
只、やる!”ことなんです。

”は思考無くですから、没頭するということです。

その状態は“”であり、お気楽そのものです。

思考世界は、ゴチャゴチャしたあげくの果て「苦悩」を伴うところであり、
是非とも生きてるうち幻想から抜け出し事実に“目覚める”ことです。