“自然治癒力”という言葉があります。
自然が自然に治していく自然力のこととで、
“真の自分”のことを指しているのです。
それは私(思考)にはまったく見えませんから、私(自我)が
信じるということはありません。
でも、信じる信じないに係わらずそうであるから
仕方ありませんね。(笑)
何をしなくても自然に治っていくのです。
ここで本題です、“只なる実践”はこれと同じく余計な
ことはせず、思考せず今やることに没頭するということです。
やることが無かったら、同じく余計なことはせず、
思考はせず今、今、今に没頭するのです。
そしてそれを今、今、今と真剣にやっていれば
“本来の今”に目覚めるのです。
余計なものがこの私(自我)であり、浮かんで来た念に
取り付くのが同じくこの私(思考)ということです。
『心』を支配しているこの「思考自我」が、動くか
動かないかの“極小”にして、穏やかな安らぎのある
“絶対安心”の境地を得るのです。
それにはこの私(思考)次第であり、私(思考)を忘じ切るまで
弛まぬ“只なる実践”の持続です。
自然が自然に治していく自然力のこととで、
“真の自分”のことを指しているのです。
それは私(思考)にはまったく見えませんから、私(自我)が
信じるということはありません。
でも、信じる信じないに係わらずそうであるから
仕方ありませんね。(笑)
何をしなくても自然に治っていくのです。
ここで本題です、“只なる実践”はこれと同じく余計な
ことはせず、思考せず今やることに没頭するということです。
やることが無かったら、同じく余計なことはせず、
思考はせず今、今、今に没頭するのです。
そしてそれを今、今、今と真剣にやっていれば
“本来の今”に目覚めるのです。
余計なものがこの私(自我)であり、浮かんで来た念に
取り付くのが同じくこの私(思考)ということです。
『心』を支配しているこの「思考自我」が、動くか
動かないかの“極小”にして、穏やかな安らぎのある
“絶対安心”の境地を得るのです。
それにはこの私(思考)次第であり、私(思考)を忘じ切るまで
弛まぬ“只なる実践”の持続です。