只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝の暗いうち、雨降りの中、山畑に忘れ物を取りにいきました。笑

2018-02-01 09:36:50 | 日記
例えば、ねずみが平気だったりゴミ屋敷が快適だと
する人もいるのですね。

それは生まれ育った環境で違うからです。

また、生で「茄子」をサクサクと美味しく食べる人も
いるんですね。

グロデスクな「なまこ」を平気で食べる、美女らしき人も
いるのです。(笑)
  
なぜなら美味しいからで他には理由は“何も無い”のです。

ですから、「思考自我」には関係なく動いていると
いうことです。

それが「なぜ?」が無い、本来ということですね。

真実という本来は“自由自在”で、何も引っ掛かるものは
無く言葉で現わすことはできません。

ですから言葉で現わすものは、すべて「幻想」ですから
相手にしないことです。

実体の無い「幻想」を相手にしていたら、次々と迷いの中に
入っていきます。

只なる実践”は、相手のいないところに居続けること
であり、それが“今に目覚める”ことになるのですね。

それは過去や未来を断ち切るということです。

“今”に無い過去や未来は、邪魔するだけで必要は
何ひとつありません。

でもこの人間社会は、過去や未来がウヨウヨして
幻想世界となっています。

そこを見極めて、「幻想」に戻らぬ様に
実践”に勤しんでいくことです。