山の植物に赤い実が垂れ下がっています。
風が吹いてくると、小さな赤提灯が揺れるみたいで
目を楽しませてくれます。笑
【あの人は怖いと思わないことです。
考えれば考えるほど怖くなってきます。
思い考えなければ“あの人はあの人”です。】
「善悪は無い」と言っていますが、例えば他人に暴力を
振るったりするのは、もちろんこの世界では悪い事です。
身体の不自由な方に手助けすることは
善い事です。
しかし、事実は「暴力は暴力」で行ってはいけないことです。
その事がしっかり頭に入っていればそれでいいのです。
「手助けすることは手助けすること」で、その状況を
見て行えばいいのです。
でも「思考自我」は、「暴力は悪い」が先に出てくるのです。
それは「暴力をしないのが善い」が付いているからです。
同じく「思考自我」は、「手助けしないのは悪い」が先に出てくるのです。
それは「手助けすることは善い」が付いているからです。
逆も然りで、善い悪いが状況によりクルクル回って、
最終的に「思考自我」は訳がわからなくなるのですね。(笑)
ですから、私(思考)に「善悪」が無ければ「思考癖」も
無いのです。
事実は“今この瞬間・無思考”しかありません。
ぜひとも「善悪」の無い“今”に目覚めるよう
絶えず“只なる実践”の継続です。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『頭での理解や分別ではどうにもならない別世界が心であり、
自分では解決できないことを本当に知ることです。
それが出来る実直さがあって初めて道が開けるのです。
つまり適正な自分の現況把握があってこそ、根源的な解決の道を
求めようとする求道心が起きてくるのです。
ちょっとした心の作用ですが、
これが有るか無いかで人生は大きく変わるのです。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
残念ながら、心配、不安、苦悩、恐れ等は
自分では解決できないことです。
ましてや他人が解決できるものではありませんね。
ですからどうすることも出来ないところに
落ち着き、そこから出発するのです。
“只なる実践”という“光輝な宝刀”で
目には見えない「思考自我」を切り落とすしかありません。
この「思考癖」は空から浮かんだ念に飛び付く癖です。
簡単に飛び付くから除々に苦悩になっていくのです。(笑)
ですから飛び付かないよう、目には見えぬ
“光輝な宝刀”で切り落とすのです。
これがあるから“真実に目覚める”ことができるのです。