只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“今”しかない!これに思考が反応しないことです。

2018-02-08 07:39:06 | 日記
只なる実践”の持続が、俗に言う『面白くなって来る!』と
脳細胞の緊張が溶けてきた証拠ですね。

日々やってる“実践”は、相対を持たないことです。

それは例えばこんな感じで“縁のまま”ということです。
急ぎもしなければ、ゆっくりもしない。
例外には、危険が迫ればそれに即対応するだけ。

強くもなければ、弱くもない。
利口でもなければ、馬鹿でもない。
金持ちでもなければ、貧乏でもない。
厳しくもなければ、優しくもない。

遊びたけりゃ遊べばいいし、遊びたくなければそれでいい。
食べたければ食べりゃいいし、食べたくなければそれでいい。

痒ければかいたらいい。
眠ければ眠りゃいい。
腹が立ったら立てばいい。
歌いけりゃ歌えばいい。

掃除したけりゃ即すればいい。
書きたければ書けばいい。
出来なければ出来ないでいい。
遠慮したければ只、遠慮すればいい。

好きであれば好きであればいい。
泣きたければ泣けばいい。
嫌いであれば只、嫌いであればいい。
天才もいなければ、馬鹿もいない。(笑)

この様に“すべては只!”ということで、“無い無いづくし”です。

ですから、心配、迷い、不安、苦悩、恐れは事実には
何も無い”のです。

でも「在る」と思えば、これらは無限に広がって
いくのです。

「在る」と思う私(思考)を、頭の中から消し去って
”くのが、弛まぬ“只なる実践”の持続です。