去年は少ししか取れませんでしたが
今年はかなり芽を付けていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/23/ad563eea23270515d556297b76c96aee.jpg)
何事も“いい加減”にやっています。
「そんな事ではだらしが無い!」と言われそうな気が
しますので、ちょっと言葉を添えて
“ちょーど、いい加減”ということです。
お風呂に入るときも『お湯がちょーど、いい加減』と
いうことです。
緊急な時と場合を除いて
仕事もいい加減
遊びもいい加減
食べるのもいい加減
寝る時間もいい加減
勉強もいい加減
収入もいい加減
限がありませんのでこの辺で止めますが、
“いい加減”は基準が無いということです。
無理が無い、苦悩が無い、私(思考)が無いということですね。
そのように“感じる”ということです。
“ちょーど、いい加減”で
今、今、今を淡々と歩いていきましょう。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
・・本当に一歩だけになる。これが心の万事を解決してくれるのです。…前回まで
『心身の「隔たり」は自己《心》を持ち出して計り事をする癖ですから、
それが入る隙間を与えぬの修行です。
一心不乱でなければ出来ない相談です。本の身心一如に還ればよいのですから、
坐禅はそのための最善の道なのです。』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
「思考する癖」は心を引き出し迷わせるものです。
このスピードは目にも止まらぬ速さです。
約0,001秒とも言えます。
それを見極めるのは、白刃の上を歩くが如くの
真剣さが必要となります。
「そんなの出来ないよ~」が出てこない前に
“只、やる!”のみです。
その“実践”が「約0,001秒」を見極めるようになってきます。
“見極める”とは「思考する癖」を落とすことですから
その境地はお気楽そのものです。
ですから淡々と“実践”するしかありません。
今年はかなり芽を付けていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/23/ad563eea23270515d556297b76c96aee.jpg)
何事も“いい加減”にやっています。
「そんな事ではだらしが無い!」と言われそうな気が
しますので、ちょっと言葉を添えて
“ちょーど、いい加減”ということです。
お風呂に入るときも『お湯がちょーど、いい加減』と
いうことです。
緊急な時と場合を除いて
仕事もいい加減
遊びもいい加減
食べるのもいい加減
寝る時間もいい加減
勉強もいい加減
収入もいい加減
限がありませんのでこの辺で止めますが、
“いい加減”は基準が無いということです。
無理が無い、苦悩が無い、私(思考)が無いということですね。
そのように“感じる”ということです。
“ちょーど、いい加減”で
今、今、今を淡々と歩いていきましょう。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
・・本当に一歩だけになる。これが心の万事を解決してくれるのです。…前回まで
『心身の「隔たり」は自己《心》を持ち出して計り事をする癖ですから、
それが入る隙間を与えぬの修行です。
一心不乱でなければ出来ない相談です。本の身心一如に還ればよいのですから、
坐禅はそのための最善の道なのです。』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
「思考する癖」は心を引き出し迷わせるものです。
このスピードは目にも止まらぬ速さです。
約0,001秒とも言えます。
それを見極めるのは、白刃の上を歩くが如くの
真剣さが必要となります。
「そんなの出来ないよ~」が出てこない前に
“只、やる!”のみです。
その“実践”が「約0,001秒」を見極めるようになってきます。
“見極める”とは「思考する癖」を落とすことですから
その境地はお気楽そのものです。
ですから淡々と“実践”するしかありません。