只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“只、やる!”実践が、目覚めに近づきます。

2018-02-10 08:05:26 | 日記
ご承知のとおり“”には1秒前も1秒先もありません。

ですから心配、迷い、不安、苦悩、恐れはどこにも
無い”のです。

繰り返し述べていますが、“今この瞬間・無思考”が
真実だからです。

これに「過去はあったのだ!」とか「未来は来るのだ!」を
持ってくるのは幻想ですので、それを打ち消すのが
只なる実践”の持続ということです。

反論する私(自我)を相手にしない、無視する、
知らん顔する、触れない、放っておくのです。

しかし、相手にした途端、「思考自我」の土壷に嵌まって
いくのですね。

ですから一時の油断も出来ませんので、常に注意深く
見張っておかねばなりません。

私(思考)は1秒の油断も隙も無く、四方八方からわからないように
忍んでくるやから者ということです。(笑)

とにかく、忍んで来たのを気が付けば消えていきますので、
これがうまく出来る出来ないを超えて見張り続けていれば、
私(自我)は出て来れなくなるのですね。

それと同時に“今に目覚める”のです。

今”に目覚めるとは、繰り返し述べている通り
そこは思考無しの、穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地です。

これは“今この瞬間・無思考”という真実です。