大分県議会議員・なかの哲朗です(^_^)

大分県議会議員の中野哲朗です。
誠心誠意、全身全霊をかけてがんばります👊

政策通になりたい

2023-08-07 22:34:15 | 日記
令和5年8月7日(月曜日)

今日は、週末にいただいた御意見や御要望を県と市の担当部署にお届けしたり、市役所で調査をしたりの一日でした。良いと思われるものであっても、その内容や根拠を知らずに、調査もせずに、議員としての判断ができないという案件を、これまで嫌というほど経験しました。市議会議員としての8年間は、「武闘派」と言われ「政策通」にはなれませんでしたので、まだまだ勉強が必要です。



お昼前、4日に亡くなられた畑英次郎元代議士の葬儀を前に、弔問に伺いました。私が生まれた時の日田市長であり、衆議院議員としての全盛期をよく覚えています。

畑先生は、広瀬勝貞前知事の御尊父・広瀬正雄先生(衆議院議員10期、元郵政大臣)の市長時代、秘書となったのが政治の道に入られたきっかけだと聞いています。広瀬代議士の秘書を経て、昭和39年の日田市長選挙に36歳の若さで挑戦し、この時は4期目を目指す岩尾精一市長に356票差で敗れていますが、この選挙の激しさは、亡くなった祖父から聞いたことがあります。4年後に雪辱を果たし、日田市長に就任された畑市長は、若さを発揮し、精力的な市長だったそうです。

日田市長の3期目だった昭和54年4月、引退を表明した広瀬代議士に後継者の指名を受け、同年10月の総選挙で初当選。私の父は、当時、広瀬事務所に勤務しており、後継の畑先生の選挙では、まったく家に帰らず、候補者に付きっきりで戦ったと聞きました(なお、2期目の選挙は、なんと8か月後の翌年6月。この時も、まったく家に帰れなかったそうです)。短い期間ではありましたが、畑代議士の最初の秘書でした。

私が畑先生の姿を初めて見たのは、昭和62年4月19日でした。この日は、畑代議士の秘書から壁村県議の秘書となっていた父の初めての市議会議員選挙の告示日。出陣式を終えて、遊説に出発した候補は不在でしたが、当時、衆議院議員4期目、厚生政務次官だった畑先生が、選挙事務所(=自宅)を激励に来られ、応対したのを覚えています。ものすごいオーラでした。「一~つ、〇〇。二~つ、〇〇」と力強い独特な口調で演説されていた光景を、懐かしく思い出します。

平成25年11月3日、市議会議員を4期務めた父の市政功労者受章式でお姿を拝見したのが、最後でした。その後、私も政治の道を志し、平成27年に市議会に議席を与えていただきましたが、平成5年に現職の県連会長のまま自民党を離党し、平成12年に国政を引退された畑先生とは、時代が異なることもあり、政治的な関わりを持つことがないままでした。

日田市長3期10年、衆議院議員7期21年、農林水産大臣、通商産業大臣、日田市名誉市民。

長い間、郷土のために尽力された畑英次郎先生のご冥福をお祈り申し上げます。