口有馬竜宮塔
口有馬の浜にあり、「安政七年庚申四月世話人網方中。村方中」との記録がある。熊野年代記によると、「安政六年(一八五九)」己未八月井土村塩入凡そ百人ばかりの人数にて湊口を切る。俄に流れ出で九人流死」と書かれています。このときは、口有馬・奥有馬方面からも加勢を得て井戸河口にて作業中、折りから打ち寄せる高波で9人が流死したのです。
海の神竜宮神の怒りを鎮め、以後再びこのような災難の無きようにと願い竜宮塔を建立したのです。
昔から七里御浜の各河口では土用の高波ともなると塩入りで稲田が冠水、稲に花のつく頃には不作に見まわれるため湊口の閉鎖を切り開いた。湊切りは命がけの難作業でした。
因みにここは海抜11.6mです。