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出石神社2

2016-04-25 22:38:14 | 日記
天之日矛(天日槍)は新羅の国の王子として生まれた。
ある日、天日槍は一人の若者から、新羅国アグ沼のほとりで眠っていた女性が美しい虹のような光をあびて産み落としたという赤い玉を譲り受ける。
家に持ち帰り飾っていたところ、その玉は美しい乙女となり、天日槍は、乙女を妻にする。
二人は楽しい日々を送るが、やがて乙女に対して不満をいうようになり、乙女は嘆き悲しみ「祖の国へ行きます」と天日槍のもとを去ってしまう。
乙女は日本の難波にたどりつき、比売詐曽神社のアカルヒメという祭神になる。
一方、天日槍も八種の神宝を携えて日本へ渡ろうとするが、渡りの神に邪魔をされて、多遅摩国(但馬国)に上陸し、出石に住むようになる。
やがて、但馬の俣尾の娘、前津見を妻にし、製鉄をはじめ大陸の優れた技術を持って天日槍は但馬に新しい文化をつくりあげていく。
天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられている。
出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されている。
表現は多少異なるが古事記、日本書紀、播磨風土記にも天日槍とその一族は登場し、伝説と神秘に満ちた古代史を彩っていく。
「日本書記」には、垂仁天皇3年春3月に昔に新羅王子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参した事への言及があり、その渡来の記述がある。

出石神社

2016-04-24 13:57:13 | 日記
11時31分に中嶋神社を発ち、11時44分に出石神社に到着。

旧国幣中社。
祭神、出石八前大神・天日槍命。
社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。
八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。
更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。
江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。
本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。
社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。
例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。

中嶋神社7

2016-04-24 13:27:47 | 日記
境内に高松宮殿下お手植えの松があります。

「夢をお菓子(かたち)に!~TAJIMAスイーツ高校生バトル」というのがあります。
言ってみればお菓子甲子園の様なものでしょうか?
それが菓祖神田道間守ゆかりの地但馬でやっているそうです。

中嶋神社7

2016-04-24 13:27:47 | 日記
境内に高松宮殿下お手植えの松があります。

「夢をお菓子(かたち)に!~TAJIMAスイーツ高校生バトル」というのがあります。
言ってみればお菓子甲子園の様なものでしょうか?
それが菓祖神田道間守ゆかりの地但馬でやっているそうです。