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阪本清一郎生家跡

2014-05-06 12:05:21 | 日記
人権のふるさと公園内に阪本清一郎生家跡と旧岩崎村庄屋屋敷跡がありました。
しかし説明版以外全く何もない。

阪本 清一郎、1892年1月1日-1987年2月19日、日本の社会運動家・政治家。
全国創設者の1人。
奈良県南葛城郡掖上村出身。
地主の家の出であったが出身地そのものが被差別であった。
家業の膠製造業を継ぐために東京工科学校(現・日本工業大学)で化学を学ぶために上京する。
東京では同郷の後輩西光万吉と行動を伴にし、西光が病に倒れたのを機に故郷に戻る。
西光らと燕会を結成してセレベス島移住を計画するが挫折、その後運動を解放に転じさせ、1922年に全国を結成する。
その際、「」の名称を考案したのが阪本であった。
その後、運動内においては中間的な立場に立ち、組織の仲裁役となった。
この間、1927年に労働農民党の中央委員に選ばれ、1929年に掖上村会議員に当選している。
その後、西光とともに大日本国家社会党に入り、国家主義に傾倒するとともに経済更生運動や協同組合運動に関わる。
戦後、解放同盟中央委員となるが、その後解放同盟と出身者との対立が深刻化すると、1965年に木村京太郎らとともに荊冠友の会を結成、1975年に北原泰作らとともに国民融合をめざす問題全国会議を結成して解放同盟と対立する動きを見せた。

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