当社の創建は、今を去る5千年と言い伝えられ 紀州地方最古と言われる。
江戸時代役牛による耕作が始まった頃より、牛の守り神として、字名にちなんで牛鼻と呼ばれるようになった。
また、神武天皇東征の折に牛の鼻を繋いだとも伝えられる。
日本記に日く、景行天皇重ねて南方の悪神を征し給う時、三輪崎荒坂山に軍立し給い、御陣を秋津野に召されて日久しく御粮尽きける時に、熊野村の千翁命稲千束奉りて奉救す依って御陣堅固になり悪神共無為に治まる也。
天皇御感のあまり千翁命姓を給い穂積と号す。
命に三子あり、榎本、鈴木、宇井、日本武尊熊野村に御鎮座の時、大成榎本の元に檀を築き鈴をもって奉迎するに、右の功を称して三子の屋号とするという。
故に本社の祭神は熊野三苗はじめ熊野地方一帯の祖神を祀るところ也。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f5/5006cd0b08b87189ef5083bed5aa9b97.jpg)
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江戸時代役牛による耕作が始まった頃より、牛の守り神として、字名にちなんで牛鼻と呼ばれるようになった。
また、神武天皇東征の折に牛の鼻を繋いだとも伝えられる。
日本記に日く、景行天皇重ねて南方の悪神を征し給う時、三輪崎荒坂山に軍立し給い、御陣を秋津野に召されて日久しく御粮尽きける時に、熊野村の千翁命稲千束奉りて奉救す依って御陣堅固になり悪神共無為に治まる也。
天皇御感のあまり千翁命姓を給い穂積と号す。
命に三子あり、榎本、鈴木、宇井、日本武尊熊野村に御鎮座の時、大成榎本の元に檀を築き鈴をもって奉迎するに、右の功を称して三子の屋号とするという。
故に本社の祭神は熊野三苗はじめ熊野地方一帯の祖神を祀るところ也。
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