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産田神社3

2017-12-04 21:58:07 | 日記
産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊とその子の軻遇突智神を祀っている。
『花の窟』が伊弉冉尊の御陵に対して、産田神社は火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所として一対的な意味合いがあり、神々が生活した古郷ともいえる。
古代の神社は建物がなく、ここでは『神籬』(神の宿るところ)と呼ばれる石で囲んだ太古の祭祀台(祀り場)へしめ縄を張り神を招きました。左右の2カ所残っており、古さをものがったています。
毎年1月10日の大祭の『奉飯の儀』では子供が丈夫に成長することを願って、汁かけ飯、骨付きさんま寿司、赤和え、御酒の膳いただきます。
産田神社はさんま寿司発祥の地とされています。

産田神社

2017-12-04 21:22:40 | 日記
花の窟神社を発ち、産田神社へ。
本来は順番は逆かも知れないが、行程的にいつもこうなってしまいます。
ここも世界遺産だと思うのだが、花の窟神社に比べて閑散としています。
場所も少し分かり難いし、花の窟神社に比べてメジャー度やインパクト感が少ないのかな?
僕は結構好きだけど。

花の窟神社3

2017-12-04 19:54:06 | 日記
日本書記に「 一書曰伊弉冉尊火神を生み給う時に灼かれて神退去 ましぬ 故れ紀伊国 熊野の有馬村に葬しまつる 土俗此神の魂を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。
花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。
又、昭和23年4月10日天皇陛下が皇太子殿下の当時、熊野地方御見学の途次御立寄りあらせられる。
この窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったが、故に花窟との社号が付けられたと考えられる。 古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体とし、その下に玉砂利を敷きつめた祭場そして、王子の岩と呼ばれる高さ12メートル程の岩がある。この神が伊弉冊尊の御子であることから王子の窟の名の由来とされている。