侍賢門院の墓? 2017-05-21 18:42:34 | 日記 二つ鳥居を目指して歩いていると侍賢門院の墓の看板を発見。 しかし見つけられず。 ここ、結構そういうの多い。 案内板はあるが、中々見付からない。 まあそれも面白いのだが。 代わりに廃墟を発見。 かまどもあります。 この後、山登りは始まります。 地図では分かりませんでしたが。
有王丸の墓 2017-05-21 18:14:16 | 日記 今度は二つ鳥居を目指します。 途中気になるものを発見。 どうやら墓のようです。 有王丸の墓とあります。 平家打倒を企てた俊寛僧都の召使、有王は鹿ケ谷の陰謀に破れて鬼界ケ島に流され、さみしく世を去った俊寛の遺骨を治承三年(1179年)五月、高野山に納め 法師となって主の菩提を弔い、天野に住み生涯を終えたといわれます。 俊寛の娘もまた、十二歳で天野の別所で尼となったと「源平盛衰記」に記されています。 「有王は俊寛僧都の遺骨を頸にかけ、高野へ上り奥の院に納めつつ蓮華谷にて法師となり諸国七道修行して、主の後世をぞ弔ひける。」
奥之沢明神2 2017-05-21 17:24:15 | 日記 更に奥に入ると説明版と社が現れました。 ここは、丹生明神が初めて天野に入った所と伝えられています。 丹生告門(にうのりと)は、和銅三年(710年)に書かれましたが、それには丹生明神が、三谷の岩口の滝の神として現れ大和方面より九度山、古沢を通り小都知の峯よりここに降りてきたといいます。 その後、紀伊の北部を巡り、今の神社の地に祀られたと 記されています。
奥之沢明神 2017-05-21 16:33:35 | 日記 8時29分に丹生都比売神社を出て、周辺を散策してみる。 奥之沢明神をいうのを発見。 少し行ってみる。 ここはキャンプ場? スケボー?ローラーブレード?のハーフパイプ?らしきものもある。