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宇奈太理坐高御魂神社

2014-08-14 23:01:02 | 日記

東院庭園の隣、宇奈太理坐高御魂神社に参拝してみる。

持統紀6年(692)12月に新羅国物を菟名足社に献納している
天平2年(730)12月『新抄格勅符抄』には「大和八戸・尾張五戸」あわせて十三戸の神戸とあり
貞観元年(859)4月10日法花寺薦枕高御産栖日神(当社)正三位
正暦2年(991)東大寺春日庄内に大社菟足社があり
寛弘9年(1012)3月の大和國今木荘坪付案に所在あり
弘安元年(1278)7月の仏餉田寄進状に「桜梅天神」
延宝9九年(1681)『大和名所記』「法華寺西南邊に楊梅の天神といふ社あり」
宝暦3年(1753)法華寺支配の一社で、社名を「桜梅天神」とする
明治維新に当つて、法華寺の支配を離れ、法華寺村住民を以て神官に宛てた


東院庭園

2014-08-14 22:34:52 | 日記

14時3分、東院庭園に到着。
既にヘロヘロであるが、見学してみる。

1967年、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。
この場所は『続日本紀』にみえる「東院」にあたることから、発見された庭園は「東院庭園」となづけられました。
それまで奈良時代の庭園については古い文献からそのようすをうかがうのみでしたが、この発見を契機に発掘調査を継続した結果、庭園部分とその周辺一帯の様相がほぼあきらかになりました。
東院庭園は東西80m×南北100mの敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことが確認されたのです。
東院庭園は東西60m、南北60mの南から見て逆L字形の池を中心に構成されています。
池の西岸には中央建物に付属する露台が水面に張り出し、露台から東岸には橋をかけています。
池の北端には築山石組、西南部には中島があって、それぞれ庭園景観の焦点となり、屈曲する出島の先端部には景石が配されています。
池底から岸辺にかけてゆるやかな勾配で小石を敷きつめた洲浜が出入りのある汀線をかたちづくっており、奈良時代の優美な庭園の様子がしのばれます。
自然の風景を主題とした平安時代以降における庭園の原形ともいえる重要な遺跡なのです。