東京フォーラムにお二人のフランスからのジュリーファンが来られていたと知ってから始まった、今回の『1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)』 ジュリーの1975年のヨーロッパ進出を中心にスポットを当てていますが、今回は1976年です。
お正月コンサートの、大阪フェスの後の日劇でのライブ画像を新たに頂きました。
文字拡大
年末の東京駅の事件についてのコメントがありますね。
このコンサートは「憧れのハワイ航路」がオープニングという
意表をついた選曲のせいか41年前でも記憶に残っています。
3月に再び渡欧、そこで今TVで話題のデヴィ夫人と会談。財産を横領されたんだとか?
世界中を股にかけて走るジュリーでしたが、再び5月に事件が・・・
このテーマの一番最初に上げたこの画像の時は6月半ば、既に二度目の事件が起きた後です。
巴里の小さな少年を見つめる笑顔のジュリーの心中は、
本当はいかがなものだったのか。
ちょっと字が小さいのでコントロールキーで拡大して読んで下さい。
YOUNG7月号の記事
1カ月の謹慎に関しては、ジュリーが繰り返しMCで話していますが
決してナベプロ側の決めた事ではなく、ジュリー自身が決めた事だったとか。
あと味のよくない事件ではありましたが、深く反省して自分を見つめなおし
マイナスをプラスに変える事ができるのがジュリーです。
この後の大活躍はファンなら誰でもが知っています。
YOUNG記事。この項終わります。
行きました。
初めての日劇、初めて、ナベプロ友の会に現金
封筒で送金して手に入れたチケットでした。
なんと、3列目32番と言ういいお席を頂き、
とっても美しいジュリーを堪能することが出来
ました。
パンフレットも買いました。
高校生がひとりで観に行くのは凄く勇気がい
りましたが、勇気を出さなければジュリーに会
うことは出来ないので、頑張りました。
過保護の我が家、正直に言ったらダメと言われ
るに決まっているので、映画を観に行くと嘘を
ついて、昼の部に行きました。
「憧れのハワイ航路」のオープニング、鮮明に
覚えています。
母が、歌謡曲が大好きで、色々なレコードを聴
いて育ったので、知っている曲ですが、びっく
りしました。
生ジュリーにくぎ付け!
ホントに楽しいひとときでした。
生ジュリー、3回目でした。
当時の私の目標は、年に1回、ジュリーに会う事
でした。
でも、1976年は、夏のサマーツアーにも行くこと
が出来ました。
ファンクラブには、15歳の頃入りました。
たまにしか行かないせいか?10代の頃は、良席ば
かり頂いていました。
日記はつけていませんが、ライブに行った時だけ
チケットをノートに貼り、簡単な感想など書いて
います。
あと、事件があったときなど、新聞の記事を貼り
つけたりしています。
名付けてジュリーノート。
今も続けています。
この日のチケットはないんですが、この後の物
は、すべて取ってあります。
今も、ノートを見て、コメントを書いています。
想い出は、尽きなく・・・
今のジュリーも大好きですが、当時の美ジュリー
を堪能できたことは、ちょっぴり自慢です。
話は変わりますが、フランスからの訪問者さん、
当時のフランスで発売されたジュリーのシングル
レコードをすべてお持ちです。
画像が、送られて来ました。
凄いですね~
ジュリーは、世界のジュリーなんですね~!
改めて、偉大さに気づかされました。
1976年のお正月の日劇が、3列目32番・・、41年たちましたが、今でも大変に羨ましいと思います!
美ジュリーを堪能されたことを どうぞジュリーファンに自慢してください!
私は毎回が壁際のZ席ばかりでした。当時の夢のように美しいジュリーを前の席で見たかったです
「ジュリーノート」はブログで拝見していますが、綺麗な文字で整然と書かれたノートには とても感心しました。本当に思い出はつきません
70年代から日記こそつけてはいましたが、今も積年のジュリーグッズが片づけられない状態の私です。
>『フランスからの訪問者さん、当時のフランスで発売されたジュリーのシングルレコードをすべてお持ちです』
それは凄い
来年の古希にも是非フランスからジュリーを見にきていただきたいと思います