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MOJOWEST(PYG)

2018年03月28日 | JULIE メモリーズ

J友さんの<エピソードシリーズ>の途中ですが、ちょっと気になったのでPYGの話題を。

ジュリー本人が言うように「君をのせて」はそれほどヒットしなかったからなのか、J友さんから見せていただいたファンクラブ誌の1971~2年の「YOUNG」に「君をのせて」について、あまり詳しい記述がありません。PYGと並行して活動をしていたせいでしょうか。ソロのジュリーの活動について、特に詳しい記事や写真がないのは 事務所側としても方向性がまだこれから、と言ったところだったのでしょうか。

YOUNG誌上でジュリー自身が「君をのせて」は布施さんの曲みたいだと言われる、と語っていました。去年のコンサートのMCでもジュリーが「事務所は布施さんみたいな歌手に」と言っていましたっけ。ジュリーは布施さんから、色々とアドバイスを貰っていると書いてありました。


ネット上で、PYGが京大の西部講堂に出演したチラシを見つけました。このライブの出演について、YOUNGには何も書いてはありませんでした。3月20日の公演ですが、スケジュールは4月以降からしか書いてありません。

PYGは聴衆にどう受け止められたのか、思わず気になってネット上で捜してみました。

その時の主催者の方のブログ、ジュリー→沢田

Revolutionary Kyoto 1971
MOJO & 京都ロックイベントシーンのミュージシャン達

PYGは体制派として歓迎されなかった、

 

京大西部講堂ロック史記コミュの西部講堂年表

●「村八分」は、反体制を標榜する京都の新左翼シンパの学生達にも熱狂的に歓迎されたが、「PYG」は数年前のGS(グループサウンズ)時代のスター寄集めバンド・商業主義ナベプロの回し者だとブーイングする者達も少なくなかった。*但しPYGのサウンドそのものは、21世紀現在の審美眼をもって聴いても決して大人のロックマニアの鑑賞に堪えられないことは無く、楽曲完成度自体は低くない。

「鑑賞に堪えられないことはなく、楽曲完成度自体は低くない・・」その程度の感想ですか。

「いくつかの場面」に描かれている「野次と罵声の中で・・」というワンシーンが浮かんできました。

 

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公園の桜

2018年03月28日 | 紀行(建築・桜)

1995年平成7年の阪神淡路大震災後、住んでいた地域は再開発地区に指定されました。前に家があった場所は、今は公園になっています。震災後、復興住宅が建設され始め、10年後の平成17年に公園ができ、復興計画は一応全てのめどがたちました。それから13年たって、植えられた桜の若木が いまや立派な桜の木に成長しました。花見で多くの人が集まる、住民の憩いの場所になっています。

植えられた当初、桜の若木は細く低く頼りなげで、花もチラホラしかつきませんでした。正直にいってショボイ桜・・ そう思っていたのに、年月がたつという事はたいしたものです。

公園の完成年度を調べていたら、『イタリアから贈られたタイルを敷き詰めたイタリア広場なども整備しており、都会的な景観を楽しむことも出来ます。』イタリア広場?知らな~い、そんなお洒落な名前の場所あった?初めて聞きました、住民の皆さんご存知なんですか?

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