J友さんから教えていただいた→「からすの楽墨ブログ」さん、久しぶりに読みましたが お母様とお姉さんのジュリーとのエピソードには爆笑してしまいました 忙しいジュリーには大変迷惑なお話です。こういう事で「電話の歌」ができたんやな~と納得しました。
電話がうるさい 電話がやかましい 電話にゃ もうデンワ ♪
そういえば、J友さんが以前に1972年のACBでお姉さんがジュリー自身に直接「電話の歌」をリクエストされたという、羨ましいコメントをくださっていましたっけ。色々と曲が有る中で、なんでリクエストが「電話の歌」だったのでしょう?
追記 ※コメント欄にJ友さんが「電話の歌」をリクエストしたわけを書いて下さっています。当時のジュリーの活動も知れるコメントです。是非コメ欄もお読みください。
J友さんから頂いた1978年の1月23日、フランス・カンヌでのミデム(国際音楽見本市)画像です。パーティー会場で握手をしている男性は、あの「ウエストサイド・ストーリー」ジョージ・チャキリス。ジュリーがこの映画のチャキリスの吹き替えを担当したこともありました。真ん中の若い男性は、当時人気者だったアイドルグループの・・・誰だっけ?名前が思い出せません
下を拡大、木の実ナナさんと、二人でカジノ劇場でステージ。
ジュリーの隣の金髪女性、金髪のせいでシルビーバルタンかと間違えそうになりましたが、顔が全然違いました。何者?
この後はいつまで海外でプロモーションをしていたのか、大賞の受賞後はさらに日本での活動が忙しくなって、以前のジュリーの言によると、日本で売れる方が大事だという事になったので海外のプロモーションにはいつの日か行かなくなりました。
これで番外編、終わります。