脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

母のこと・・・、政治のこと。

2014年11月16日 12時23分04秒 | 近況
庭のキンモクセイはすっかり散ってしまった。秋の陽射しを見つめてい
ると、古い懐かしい時間が訪い、私はつい入り込んでしまう。
秋の光には、ひっそりと朽ちていく静けさと美しさがたゆたう。
そこには<永遠>を感得する、愛おしい瞬間があるから‥。


入院中の母から電話があり、どうしても退院して家に戻りたいという。
病院からはリハビリ施設への転院を勧められているが、地域包括支援セ
ンターから近隣の2施設に問い合わせて貰った処、自殺企図のある患者
は面倒が看れないので受入不可だとのこと。

他にも隣区のふたつの施設に打診したが、ひとつは入所が半年待ち、他
はやや遠方だが、現在服用している薬の量が多いので、減薬した後でな
いと投薬の管理が困難だとか‥。

転院先が決まらない状況でもあり、家に帰りたいという執拗な訴えに、
父が折れてしまい、退院・自宅療養という結論になったのだが、未だ主
治医から退院許可の連絡もなく、宙ぶらりんの状態である。

私としては、またあの母親に家に居られると思うと、気が滅入ってくる。
心気症の人間なので、頭が痛い・歯が痛い等々、とにかくウルサイので
ある。何かの要求をすることが、対他者コミュニケーションの型になっ
ているのである。赤ん坊が泣くことで、何か不満・不足を訴えることに
似ている。一種の幼児返りなのかもしれない。


話は換わって、政治では年内解散・総選挙だという。どうして何の必要
があって今選挙をしたがるのか、私にはよく解らない。自民党は余程自
信があるのだろうか? 今や二大政党制なんて、強者(つわもの)どもの
夢の跡みたいである。

自公支配は、今後も政治の定番となり続ける予感がする。拮抗するカウ
ンター勢力というものが存在しない状況だが、東京オリンピックでも終
わった頃には少し潮目が変わるだろうか。

民主主義とは、それへの無関心と不参加が増加する程に、それに比例し
て形骸化し、政治・行政の独善と腐敗に行き着くというのが、教科書を
読まずとも、近年実感される処である。新聞等はこの状況を嘆くが、こ
れを食い止める方途を、政治関係者は誰も、何も考えていない。

例えば政党交付金という、実にくだらない制度があるが、投票に行った
ら有権者に政治活動への参加ということで、100円でも交付金を支払っ
たらどうか。100円欲しさに投票に行くヒトはないだろう。だからその
カネを電子マネーとかで、自分の支持政党や支持候補者に、その場で寄
付出来るとかしてみれば、どうだろうか?

これは小さなアイデアに過ぎないし、こんなことで政治の民主化や腐
敗防止となるというのではないが、既成観念に囚われず、この種の政
治参加型の工夫を、もっと大胆にかつ面白く推進すべきである。
投票とデモ以外に、政治を有権者の手に戻す施策が、全然考えられて
もいないことは、政治の怠慢問題なのである。


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