脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

黒い神様。

2011年09月24日 10時58分12秒 | コギト
先週、ネパール人がやっているカレーのお店に入ったとき、
ウエイターの若いネパール人から、たまたまガネーシャの由来話を耳
にした。ガネーシャとは、頭が象の、太った体付きをした人間である。
「群集の長」という原義があるそうだが、ウエイター氏も、神様その
ものではなく、ガネーシャは神の使者だと言っていた。

このガネーシャについて、彼が子供の頃から周囲に聞かされた話をし
てくれた。
ある若い男が、水浴している女性の姿を盗み見ていた。それを女性の
夫が見咎めて、若い男の首を刎ねてしまったという。ところが、その
若い男とは、自分の子であることが判り、首のない胴体に、象の頭を
据え付けたという話だった。

この説話は私に、ギリシャ神話のエディプスを思い出させた。母親を
自分のものにしたいがために、若い母親を巡り、子が父親と争う、愛
憎の三角関係の話として、俗に知られている。

エディプスは、父(ライオス)を父親とは知らずに殺害し、母(イオカ
ステー)を後年見初めてしまい、自分の母親とは知らず性交する。
エディプス・コンプレックスは、禁忌とか去勢譚として解釈されるが
<父>という役割・機能を象徴したものでもある。

去勢とは一般に、男根の切除に象徴化されるが、分かり易く言えば、
去勢とは、父が子に世の中の秩序やルールを教える役割を担うことで
ある。
私の<去勢>解釈では、人間社会における隠微な世間、性や暴力、い
じめや村八分、ヒトの怒りや憎しみ等々といったダーク・サイドな世
間を子供に、教え伝える社会教育機能だと思っている。

つまり去勢とは、社会に出て行く我が子のために、人間や人間集団の
裏情報や裏ルールの伝達と訓育である。
今日、この<父>の役割は、ネットその他の大小のメディアや同年
齢者集団の方が果たしており、現実の父親は、母親と同じ立ち位置
で「保護者」化して、<父>の役割遂行は褪色しているように思う。


ガネーシャの話に戻るが、ガネーシャは小さな村を超えた、群集の
主である。ある秩序やルールを下々に課す存在、いや彼こそが、秩
序であり、ルールだったのであり、古代では「神」に近いだろう。

この「神」とは、善なる主体ではなく、一切の裏を仕切る「黒い神
様」、性や暴力等々の人間の俗な世界に君臨する力だったように、
私には感じられる。それはキリスト教のヤハウェのような畏怖すべき
存在としての神に通じている。

洋の東西、古今を問わず、ヒトの世であるところ、いつになっても、
何の違いもないのだろう。
重要なことは、「神」とは、善なるものであり、それを信じて癒され
るかのような存在ばかりなのではなく、ここに示した「神」とは、
ヒトに癒しよりも、ヒトをタフにする、<肥やし>を齎す存在だった
点である。













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