鴎外という人は、
天空を飛翔する鷹のような眼を持ちながらも、
己が地上の身の丈を、着実に生き抜いた人物である。
鴎外は壮語を以って吐き出した力で、
自身を高みに押し上げることがない。
「世界」に対して背後に身を置き、
それへと静かに肩をたたくような、隔てた親しさを持つ。
彼の見え過ぎる眼は、超越的でないことによる。
眼は、現実を縦に眺めるより、横に連なる流れとして受け止めている。
この流れに覚醒され続け、意識は曇らない明晰を持続している。
鴎外の自称する「傍観者」とは、
このような意識の明澄な清冽を持している者のことである。
鴎外は『阿部一族』にて、
命という代価を支払って「殉死」という商品を購う武家社会に、
「規則に添って進展するからくり」を見出していると記したが、
有名な『雁』という作品(多義的読解が可能だが)には、
財貨の価値増殖の内に人生の展開が起こる様が描かれている。
それを象徴する人物が『雁』の末造である。
末造は学校の小使いに過ぎなかったが、
金貸し業に乗り出し、お玉という妾を囲う程に成功する。
末造にとって金銭こそ現実の力であった。
彼はこの魔力に飲まれて、鼻先に欲望をぶら下げ、
金利の貨幣経済のシステムを回転する。
末造より興味深いのは、お玉の存在感である。
「妾」とは、金持ちのサブカルチャーのようなものである。
この関係は、商品と広告の関係にも似ている。
広告は商品を価値付け、売れ行きを左右するが、
広告が商品とは別個の、自立した生命をもつことがある。
『雁』のお玉の生き様にも、
サブ・システムがメイン・システムに、巧みに絡みつき篭絡し、
システム総体を反転させていくような「予感」が読後に残る。
彼の時代にあって、家が貧しく妾に身をやつした女性が
その身一つで生きるには、したたかで逞しく変貌する以外にない。
主の末造を出し抜いて、お玉が自立する行く末が思い遣られる。
同じ自立でも「男」を描いた場合、例えば『青年』の主人公は、
年上の未亡人に寄せたほのかな情愛が裏切られたとき、
その寂しさを「自己を愛する心が傷つけられた不平」に過ぎぬ、
そのような切断する意志で、単独に挫折を軽々と乗り越えていく。
以下は、筆者の勝手な想像であるが、
女性の自立が困難な時代状況の制約とも絡んでいるが、
鴎外は、お玉のような妾の女性に限らず、
女性一般に、女性は「女」を男に売り渡すことで、
商取引をするように生き抜くものとでもいうような、
女性観を一部に持っていたのではなかろうか? (続)
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天空を飛翔する鷹のような眼を持ちながらも、
己が地上の身の丈を、着実に生き抜いた人物である。
鴎外は壮語を以って吐き出した力で、
自身を高みに押し上げることがない。
「世界」に対して背後に身を置き、
それへと静かに肩をたたくような、隔てた親しさを持つ。
彼の見え過ぎる眼は、超越的でないことによる。
眼は、現実を縦に眺めるより、横に連なる流れとして受け止めている。
この流れに覚醒され続け、意識は曇らない明晰を持続している。
鴎外の自称する「傍観者」とは、
このような意識の明澄な清冽を持している者のことである。
鴎外は『阿部一族』にて、
命という代価を支払って「殉死」という商品を購う武家社会に、
「規則に添って進展するからくり」を見出していると記したが、
有名な『雁』という作品(多義的読解が可能だが)には、
財貨の価値増殖の内に人生の展開が起こる様が描かれている。
それを象徴する人物が『雁』の末造である。
末造は学校の小使いに過ぎなかったが、
金貸し業に乗り出し、お玉という妾を囲う程に成功する。
末造にとって金銭こそ現実の力であった。
彼はこの魔力に飲まれて、鼻先に欲望をぶら下げ、
金利の貨幣経済のシステムを回転する。
末造より興味深いのは、お玉の存在感である。
「妾」とは、金持ちのサブカルチャーのようなものである。
この関係は、商品と広告の関係にも似ている。
広告は商品を価値付け、売れ行きを左右するが、
広告が商品とは別個の、自立した生命をもつことがある。
『雁』のお玉の生き様にも、
サブ・システムがメイン・システムに、巧みに絡みつき篭絡し、
システム総体を反転させていくような「予感」が読後に残る。
彼の時代にあって、家が貧しく妾に身をやつした女性が
その身一つで生きるには、したたかで逞しく変貌する以外にない。
主の末造を出し抜いて、お玉が自立する行く末が思い遣られる。
同じ自立でも「男」を描いた場合、例えば『青年』の主人公は、
年上の未亡人に寄せたほのかな情愛が裏切られたとき、
その寂しさを「自己を愛する心が傷つけられた不平」に過ぎぬ、
そのような切断する意志で、単独に挫折を軽々と乗り越えていく。
以下は、筆者の勝手な想像であるが、
女性の自立が困難な時代状況の制約とも絡んでいるが、
鴎外は、お玉のような妾の女性に限らず、
女性一般に、女性は「女」を男に売り渡すことで、
商取引をするように生き抜くものとでもいうような、
女性観を一部に持っていたのではなかろうか? (続)
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