脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

暖冬と富士山。

2015年12月19日 22時50分45秒 | 雑談
昼、散歩をしていると、お寺の庭の紅葉が綺麗だったりと、師走の風情
ではない。いつもなら東京の真冬は北風がビュービュー冷たく、今頃な
ら樹木は葉をすっかり散らせて、裸の木々が風景を寒々とさせているも
のなのだが。

デパートではコートが売れず、もう春物を販売している店もあるとか。
暖冬は暖房費の節約には結構であるが、冬が冬らしくないのも不気味で
はある。季節の移ろいが狂ってきているとしたら、人間を含めた動植物
だって、気づかないけど、何処か狂い始めているのかもしれない。

画像は、西日暮里の富士見坂である。坂の下の方から撮っている。今で
は富士山は高層ビルに遮られて部分しか見えない。勿論、かなり晴れた
日に限る。私は子供の頃から、この坂で夕焼けを見るのが好きだった。

でも富士山を見た記憶は全くない。どころか、子供の私には、富士見坂
という名前さえ意識になかった。当時、遠景に富士山が見えることは、
さほど特別のことではなかったからだ。多分私は、ここから富士山を見
ているのだろう、とは思うのだが。

私が富士見坂に惹かれたもう一つは、坂道の片側に積まれたレンガ塀の
薄汚れた雰囲気が、黄昏時には一層謎めいていて好きだったからである。
現在塀は、老朽化したため地震等で危険だからか、新築されているが、
坂の下の方には一部古いレンガ塀が残っている。


富士山で思い出したが、小学生の頃、空気の澄んだ冬のよく晴れた日に、
学校の屋上から、雪を被った富士山がかなり大きくくっきりと見えたこ
とがあって、ビックリした。望遠鏡を使えば、登山者の姿まで見えるの
ではないかと錯覚するくらい、山襞までくっきり見えたのである。

百数十年前の江戸の頃だったら‥、お天気の日には何処からでも富士山
が見えたことだろう。そして江戸のヒトビトはときに富士山を拝み、死
んだらあの山に還るのだと考えていたのかしれない。富士山は、世界遺
産になったが、自然遺産としてではなく、たしか文化遺産でである。

東京という街は、富士山という風景をすっかり失ってしまった。また東
京人が富士への信仰を語る言葉なんて、私は子供の頃から聞いたことが
ないが、そんな文化も何処かに消えてしまった。文化や信仰(富士講)と
しての「富士」の方が先に廃れ、次いで富士山も見えなくなった。

戦後、大気汚染と建築物の高層化で、富士山は東京から消滅したのだ。
今日、地球規模の温暖化現象で、東京では「冬」が消失しつつあるのだ
ろうか? カネ儲けだの、人類の進歩だのとやっているうちに、当たり
前にあった美しい風景や自然を、今までどんどん失ってきているのだろ
うに、たいして気にするでもなく、何も感じなくなっていく気がする。


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