脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「幸福の日」という記念日を作って欲しい。

2015年06月21日 15時01分33秒 | 雑談
今日は「父の日」だからか、私の兄弟がバラバラと我が家を訪って
は、私の父(ジィジ)に手土産を持って御機嫌伺いをしている。誰が
どういう謂れで決めたものか、父の日はどうして梅雨時の冴えない
時期なのだろう。

私は父の日・母の日に、格別親に何かをしてあげたことがない。私
自身、両親から何かを祝われたこともない。昔から我が家の家庭文
化がそんな風なのである。そのせいか、私は親・きょうだいの誕生
日さえうろ覚えなままである。

記念日を作るのなら、父母だけでなく、長男(長女)の日とか次男
(次女)の日とか、全部作れと言いたい。良い夫婦の日があるのだか
ら、良い独身の日とか、自分の日とかも作るべきである。世の中、
いつも何処かに偏っているのである。

来月はもう七月である。一年の半分が終わると、夏である。毎年六
月頃まで何かと忙しいのだが、今では母親が気狂いになったので、
年中気持ちが休まることがない。特に夏の暑い時期に最もおかしく
なる(去年も一昨年も、精神科入院)ので、今年はどうなるかと思う。

人間歳を取ると、次第に「不幸」というものに慣れてくるように思
う。大抵の不幸は経験すると、不幸と感じる閾が下がる。それは幸
福も同じことだ。慣れると、幸も不幸も当たり前の惰性で受け止め
るようになってしまう。

今手許に「総幸福度に関する区民アンケート」という調査票が来て
いる。健康・福祉、子育て・教育、産業、環境、文化、安全・安心
という分野について、あなたは何を幸福(或いは不幸)と感じますか
という調査であるらしい。

自分にとっての幸せとは何だろうと思ったとき、物事に煩わされる
ことなく、平穏で安定した生活が営めること、かな。逆に不幸とは、
自分の生活への不当・不穏当な支配介入を受けながら、生活の資力
もなく暮らさねばならない状態なのかなと思う。

つまり余計な世俗の人間関係、秩序・慣習・序列等に縛られること
なく、ひとり気ままに生きていられることが、私の幸福である。

そうだ、冒頭に戻ると、ひとりひとりの幸福のあり方を見つめ合い
理解し考え、ヒト各々の幸福を尊重するため、「幸福の日」を制定
すべきである。(私の住む自治体だけでも、制定して欲しい。)



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