いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

いやぁ、驚きました!

2007-07-05 | Weblog

 グーグルで「日本聖公会正義と平和委員会」と入力して検索してみて下さい。かなりの数がヒットしますが、靖国神社への総理大臣の参拝は憲法に違反するとか、イラク派兵は憲法が否定している海外派兵だと記されているサイトが、目白押しに出てきますよ。おまけに、京都教区の司祭が講師になって勉強会をしていたんですね。
 沖縄の問題にも関わっているようですが、ちょっと待って下さい。

 京都教区の現職司祭による12歳以下の少女に対する性的虐待は、憲法に違反していないんですか?正義とか平和とかには関係がないのですか?
 驚いて、晩飯も喰わずに友人に電話してしまいましたよ。IPフォンなので、電話代は隣の家に電話するのと同じ料金です。小一時間話をしてましたが、日本聖公会は結局のところ、当たり障りのない活動しかしていないんですよね。表面的には「正義」とか「平和」という言葉を使っていても、具体的な政治活動はほとんどしていないみたいですし、アングリカン・コミュニオンの中で一番問題になっている、アフリカの教会のことには、ほとんど関心がないみたいです。Afro-Anglicanismという運動というか、考え方というか、教会の在り方というか、非常に大きな問題になっているのですが、それにはまったく関心を示していないようです。あるいは、フィリピンの教会が現在、アロヨ政権の軍部(実質的権力を持っていると考えられている)に大弾圧を受けている教会のことも、積極的には問題にしていません。この問題は日本のジャーナリズムさえ目を瞑っているように見えます。強制退去させられた少数民族の土地に建てられた工場の中には、日本の大手企業があるからかもしれません。

 片方では首相の靖国参拝を問題にしておきながら、明らかな日本の無法な経済侵略に対しては沈黙しているんですね。そして、他国の聖公会に同調しAfro-Anglicanismに関しても沈黙してしまっているようです。あるいは、あの巨大なハリケーンに襲われたアメリカ南部で、白人から避難していたという事実をも無視しているようです。日本聖公会の中には、アメリカの深南部(Deep South)の教区と姉妹教区になっているところもあるようですから。

 いくつかのホームページを読んでいると、彼らの仕事は声明やアピールを出すことのようで、現実に虐待を受け、差別され、疎外している人々と共に生きるということではないようです。まぁ、仕方がないかもしれませんね。友人から聞いた話だと、在日の人々の人権を問題にしていながら、彼らと共に生きようという姿勢を持っていない人々がいたそうです。痛みを負うということの現実的な意味を理解しようと思っていないのかもしれません。
 そうした姿勢では、京都教区の現職司祭による女子児童への準強制わいせつ事案に関して、真剣にそれと取り組むということなど出来るはずがありません。女性司祭を按手するということの歴史的意味を真剣に考えていなかったことも同じです。彼らの中の賛成派は、女性司祭按手を踏絵にしてしまっていたそうですね。女性の人権ということを盛んに口にしていたそうですね。それでいながら、被害者が納得できる解決をすることが出来ていない現状に対して、これまで何人の司祭が声をあげてきたでしょうか。

 北朝鮮による拉致に関しては、「日本聖公会正義と平和委員会」はかなり手厳しい非難をしていながら、北朝鮮の核やミサイルに関してはどの程度の知識を持っているのでしょうか。日本に対して、どれくらいの頻度で北朝鮮の軍用機が領空侵犯をしているか知っているのでしょうか。彼らが、何も搭載せずに遊覧飛行をしているとでも思っているのでしょうか。当然、搭載可能な量のものを搭載していると考えるのが普通です。でなければ、領空侵犯してまで、日本の重要な地域で飛行訓練するはずがありません。偵察飛行なら高々度を飛びます。
 彼らのミサイルは確実に日本の全域をカバーしています。命中精度はそれほど高い必要はありません。ピンポイントでなくてもいいのです。弾頭は核なのですから。そして、そのミサイルを作るためにはどうしても西側のチップが必要なのですが、それをいとも簡単に手に入れられるのは日本だけです。極東的顔立ちをして、日本語を普通に話せれば、誰もが日本人だと思ってしまうからです。IDカード=身分証明書なしで、何でも買うことが出来ます。そうした日本の社会を作り出した思想は何だったのでしょうか。はっきり言って、軽薄な自由主義です。国家という共同体の中で、あらゆることが自由だということを考えてきた結果です。国家が危機に瀕する可能性を一つ一つ潰していくことが、国民を守ることだということの認識がなかったからです。

 軍=侵略という発想によって、国民の安全を守る手段をどのように築き上げていくかということを無視したからです。日本の現在の自衛隊が海外侵略できますか?イージス艦がインド洋へ向かったことが何故海外派兵なのですか?もしそうだとしたら、特定の国々への輸出禁止製品を積載した船舶を、武装した海上保安庁の巡視船が公海上まで追いかけていくことも海外派兵ですか?不審船による銃撃は甘んじて受けていなさいということですか?そうした船に、あなた方の息子さんやお嬢さんを乗せられますか?他人が非武装の巡視船や巡視艇に乗ることを要求して、自分のお子さんやお嬢さんは困るということであれば、それは国家という人間共同体への反逆ということにならないでしょうか。日本国は、皆さんがパスポートを持って海外へ行かれるのを、税金を使って守っているのです。

 正義と平和、それはキリスト者にとって当然のことです。聖書を読んだことがない人々でもそれを知っていらっしゃいます。だからこそ、京都教区における現職司祭による女子児童への準強制わいせつに対して、毅然とした態度で声をあげていただきたいのです。そして、京都教区の上層部の方々の対応は、人権ということをまったく無視したものでした。そこには、正義や平和の欠片もありません。
 日本聖公会の正義と平和委員会は、真剣に正義と平和を考えていらっしゃるのでしょうか。ここまで人権を無視された事件をほとんど耳にしたことがありません。こうしたことは、すぐに世の中に広まってしまいます。
 憲法9条をどうするかという議論の中で、教会の発言がこのことによって弱められてしまいませんか?