眠たいときの日記

生徒さんに教えるためにブログの練習を始めたんですが
老年パソコン講師のドジ日記に変っちゃってます
言いたい放題日記

朝ドラのべっぴんさん_30年前、息子を無理やりファミリアボーイに仕立て上げた実家が神戸の親ばかパソコン講師

2016-10-12 21:56:36 | 一匹いる息子君について
今日は、パソコンやタブレットのお話から脱出。
あんたは、家電とパソコンのはなししてりゃいいんだよ。
わかってるけど、

年配とはいえ、昔は女子であったわけで、たまにはファッションにかかわる話もしたくなるわよ。

べっぴんさんのモデルの坂東惇子さんが、ファミリアの創設者の一人だったと聞き、ドジ講師の息子のことを思い出した。

また、意味不明なことを?
息子とファミリアの創設者とどんな関係があるのかい?
タイトル通り
ゆりかごから墓場までならぬ
「オムツから 卒業式まで」(0歳から12歳)、息子にファミリアの洋服を着せ続けた 今になって考えると ほんと親バカちゃんりんの話。
親子2代なの? 残念ながら、ドジ講師が子供のとき(1960~70年代)は、ファミリアの服を着た記憶はほとんど、ない。

せいぜい、かばんとか ファミちゃんのハンカチくらい。
こういうバッグは、あったわ。もらったこともあり。

なんで 洋服のほうは 着せてもらえなかったの?

ファミリアの服は高かったから 「我が家では 買えなかった」というのが一番の理由であるのは子供ながらにわかっていた。

分厚い赤のビン底メガネをかけて 人相も悪く 男の子相手に暴れていた、私の容貌では似合わなかったのもあるだろう。

または、体形がファミリアの洋服にフィットしなかったからか。
お嬢さんとか べっぴんさんが似合う服だからね。
(実家の母のみぞ知る)(今更、聞きたくもない・・・)


その当時「子供はすぐ、大きくなって、高い服を買っても、着られなくなるし。」という風潮があったのは確か。
1960年代は、今よりずいぶん 世の中も 貧しかったから、神戸といえども、ファミリアの服ばっかり、着るわけにはいかないでしょ。

両親は元町ファミリアの前にあった、不二家(ぺこちゃんマーク)には頻繁につれていってくれてお子様ランチを食べさせてくれたけど ファミリアの前は、ウィンドウショッピングだけ。


当時の神戸の洋服事情も原因の一つ・・・
50年ほど前は、オーダーメードの洋服店が 現代より多かった時代。http://youfuku.biz/
神戸が発症で本社のある アパレルメーカーは多いと聞く。

既製服のサイズは少なく、生地もデザインも 良いものが少なかった時代。
そのころの ダイエーなどの既製品は すぐ破れたり、洗濯に弱かったりとかで 祖母がぼやいていた記憶がある。


神戸は注文紳士服店で有名だが、注文婦人洋品店も あった。
高架下の生地屋さんが繁盛してたのも オーダーメードの店がたくさんあったからでしょう。

特に、実家から近い中央区(旧生田区)の元町とトアロード周辺は、多かった。
1960年代前半は 神戸の繁華街の中心は 今の三宮ではなく、元町周辺だったんです。(さんちかができてから三宮に移ったのかな!子供の時だから、詳しくは覚えていない。)

お出かけの服は 生地選び(だいたい、洋服屋さんに任せていたけど)→仮縫い→完成品をも一度チェック(フィッティングってのかね?)の流れであつらえてもらった。
仮縫いに行くと、ほほ・・・ トルソーていうマネキンの胴体部分だけのに自分のワンピースがのっかってる。
かかしみたいに、じっと立って、仮縫いとかしてもらってた記憶あり。
さらに、フィッティングなどあって、1着作るのに2度くらいは通った記憶あり。

値段もいい生地を使えば高かったんでしょうが オーダーメードの洋品店は その当時 多かったので、特別高いお店でなければ なんとか普通の経済事情のお家でも頼めたのではないですかね。

仮縫いは ちょっと、シンデレラになった気分・・・どんな服が出来上がるのかな?ワクワクドキドキ(やめて、あーたの話はもう いらない)

ということで、1970年代までは お出かけ服をあつらえてもらうという習慣もあったわけ。



さて、息子の子供服へ。息子が子供時代は1980年代になる。30年ぐらい前
バブルの時期とも重なるし、既製服が主流の時代。

上記のように、自分が 着たくても着られなかった ファミリアの服を 息子には着せたいという願いの犠牲になった息子君。
ファミリアも自分が子供の頃より、ずいぶん進化していた。
品物も多く、比較的リーズナブルなものも出るようになり、ドジ講師は、実家のある神戸の中央区で出産したもんだから、出産前も 出産後も その当時住んでいた 東京では買わないで、大量に元町ファミリアのベビー服を買いこんだ。

さらに
ドジ娘には、ファミリアの洋服を 着せなかった実家の母親。
孫には入れ込む。(なんだい・・
84歳になる 元気な母は 洋服好き・・・。明治生まれの祖母も子供だったドジ講師もあきれてた。(いまだに 治らんよ、あの性格は・・・)

もちろん、私たち夫婦も 買いましたよ。自分たちの生活費で。
だけど、実家にいるときは購入時に 妊婦は危ないからと、元町のファミリアに 母はくっついてきた。

「あーたは、何もお産とベビー服のことは知らないから・・・」(初産だから、知るわけなかろうが・・
「今日は、出したげるよ。久しぶりに 神戸に帰ってきたから・・・」(何度か帰ってるけど・・
「これ、かわいいね・・・。一枚でええのん。替えはたくさんいるよ。」(き・きんがくが・・・・どんどん・・・

結果・・・ 「おかあちゃん・悪いねえ。ありがとう。」
それが始まり。
 
マタニティーまで、ファミリアよ。

今考えれば、まあなんと、もったいないことを。
妊婦服なんて、長いことは、着られないのにね。

ファミリアって女の子のものが多いけど、
男の子のも、なかなか、色合いが良くて よかった。
品質も良く、ドジ講師の息子のようにな男の子の激しい動きでも破れることはほとんどなかった。




写真はないけど ベビー用品 オムツ
今は紙おむつになってるけど、30年ほど前は、布おむつが主流だった。

生後 3か月までは、ファミリアの布オムツ。
その当時のファミリアの布おむつは、唯一失敗。おむつの形も 変わってたし。
あきらめて、布おむつのレンタルに替えた。

暴れる男の赤ちゃんには不向き。漏れまくってた。(大きくなってからも使えるとそのとき、聞いたけど)
折り方がヘタッピーだったのかね。


紙おむつの時代になった、今はどうなっているんだろう?

あら、オンラインショップに入ると、従来の輪型オムツ(10枚)はあるわ。
http://www.ec.familiar.co.jp/products/detail.php?product_id=60

普通のオムツプラス コンパクトダイアバーってのもあって値段は高いけど、商品が進化している。
http://www.ec.familiar.co.jp/products/detail.php?product_id=195286

おむつカバーは、昔から 良かったですよ。 
今なら、赤ちゃん本舗とか、いろいろ、ベビー用品のお店が充実してるから、オムツの話はあんまり、参考にはならないか。


現在33歳の息子君には悪いけど、今回顔なしモデルになってもらった。
ここからは、長持ちしたファミリアの服のオンパレード。


  
裏側が表になっているが、夏生まれの息子には 打合せ半袖肌着は重宝した。
洗濯しても 比較的 やわらかいままだったことを覚えている。
白のベストは、男女兼用。


  
ファミリアのネット通販に出ているカタログでは、ツーウェイオールやカバーオールは 足が出るようになってたんですけど、 息子の時は袋状で靴下付を買った。(今も冬場にはあると思います。昔過ぎて 不明)

かわいいけど、着せたり、脱がせたりするのが大変だった。
秋、冬にかけては暖かいから良いかもしれないが。
はだしのほうが、丈夫になる??フフ・・

男の子だけど、ファミリアのベビー用のペールブルーが 好みだったドジ講師。
出産祝いでもらった ファミリアのベビー用品も あった。




   

左上のフード付きのカーディガンとズボンのセットは、冬の遊び着で長いこと着られた。
縮まないし、暖かかった模様。

隣のオーバーオールは だいぶ大きくなってからのものか?

写真をスキャンしてるもんだから、日付がよくわからないものもある。
おトイレをさせるがめんどくさかったような記憶も・・・
アルバムの中にこのオーバーオールの写真が、極端に少ないということは あまり、着ていなかったということか。
 



  

幼稚園くらいだけど、ドジ講師の息子は サスペンダーをさせなければ、どんどんパンツが落ちてきてしょっちゅう、お尻が見える状態のわんぱく坊主。

ほとんど、トップスの色合いは赤か紺か白(トリコロールカラーは無難?)
無難だったからでしょうね。
 
帽子はデザインがとても、可愛らしくて、衝動買いをしたが、ご本人、嫌がらずに結構かぶってくれた。ファミリアの帽子はとにかく、かわいい。
夏はTシャツにサスペンダー付きパンツ。簡単だわ。
右のように、平気でどこでも、木登りするんで、ドジ講師は冷や冷やもんだった。
柿の木から落ちて、前歯2本 折れたことも。。。




     
紺色のジャケットはほんとに重宝した。女の子用でもあるわけでね。フフ
マッシュルームカットにしたり、なんとか似合うようにと 苦労した。
ワンポイントは、ほとんど、クマさんだ。



    
このあたりになると、アイポリーやベージュのしっかりしたシャツも着せるようになった。
チェックのパンツ、ファミリアの定番のチェック。

なんで、こんなお出かけ服着て、トランポリンなんかするんだあ!(右の写真)
どうせ、チチダケかおばあちゃんが連れて行ったんだろうけどね。



 

 
 
この赤いアーガイル柄のセーターは 小学校の低学年から 高学年まで お世話になった。

上は低学年のときの写真。
下は、5年生くらいだろうか。だいぶ 短くなっているようだが そんなに縮んだり伸びたりもなし。
今もこのタイプオンラインショップで 色違いで出しているのを見た。 

ほとんど、トップスのほうばかり、説明しているが、
長ズボンも短パンも、長持ちするので、上着と一緒に、ファミリアで買っていた。
膝が薄くなると、ドジ母は、当て布で修理して、はかせていた。
息子君は、気にしないタイプだったので、良かったけど、ひざに、つぎはぎしている子供、最近いないような気がする。



    

夏に着ていたTシャツは、どういうわけか、スヌーピーが多かった。
ファミリアの軌跡を読むと、1970年に日本ではじめてスヌーピーを販売したって話だから、スヌーピーの大元なんだ。
他のデザインに比べて、スヌーピーのTシャツは手頃な値段だったので、夏は薄手のものを 何枚着ていた模様。

25年から30年くらい前は、トレーナーと呼ばれていたものが大流行。
三枚目のブルーのは それ。
当時、秋から冬にかけては、子供も大人もいろいろなデザインの入ったトレーナーをジーンズと合わせて着ていた。
お父さんと パターゴルフを楽しんでいる模様。



  

小学校の普段着は、シャツは、スーパーで買って、冬などコート セーターとトレーナー(30年前は流行ってた)だけ、ファミリアで買うようになってきた。
汗と土でドロドロになって、ため息だったから。
ダッフルコートの写真は幼稚園のものだが、大きくなっても、長いこと着ていた。



   
卒業式も結局 上着はファミリア。良く覚えていない。パンツや下のシャツもファミリアで買ったのだろうか?フー・・・



なんで、こんなお題にしたのか?という理由・・・

息子の結婚式の時に、赤ちゃん時代からの写真をつづった、ビデオアルバムを流すことになった。

20年から30年前っていうのは、アナログ写真しかなかったわけだから、 ドジ母はヒーヒー言いながら、アルバムをひっくり返して、スキャンしたのを、息子に渡したというもの。

出来上がったビデオでは、12歳までは ほとんど、ファミリアの服を着ていることに気が付いた。

ファミリアの服にお世話になったんだ。
ありがとね。坂東さん・・・

で、12歳以降は、どこの店で?
ユニクロ・・・
中学からは制服だし。助かりました。

旦那さんも 坂東さんのお父さん(佐々木八十八)が創業した レナウンの服に今もお世話になってるよ。

日曜日だったか、冬物のポロシャツを買ってきてと頼まれて、神戸そごうに見に行ってみた。
知らないでほかの売り場もいろいろ見て、結局 2枚ほど、着心地の良さそうなのを買ったんだけど。
お姉さん「これEX-CLUBって言うブランドなんですけどね。実はレナウンがやってるところなんですよ。」
ドジ講師「へーそうなんだ。知らずにずっと、買ってた。」


あら、オンライン通販も。
http://e-shop.renown.com/pc/brand/index.html?aid3=
そごうのほうが、会員割引もあるから、ずいぶん安いわ。
ですが、そごうも売却されるんだって!ちょっとショック!

   
 

師匠とドジ講師がいる、教室はこちら。
http://www.kishima-sys.com/

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