楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

春彼岸の「お墓参り」に思ったこと

2014年03月21日 | 日記

21日(金・祝)は、晴れは晴れでしたが、色いろ変化がありました。強烈な冷たい風が吹き北大阪の高台では粉雪も舞い散り、午後遅くには小雨もありました。

春分でお彼岸の中日になるというので、池田市にある五月山霊園のお墓へ行ってきました。専用バスで駅から送迎してもらうのですが、五月山上の霊園から見える大阪府池田市、兵庫県伊丹市などの遠景は風もあって、今日は最高でした(上の写真)。毎年不思議に思うことがあります。こういう形式的な宗教行事は儒教や封建時代の名残が習慣化したものでしょう。元のインド、中国、朝鮮半島などにもない日本独特と思われます。神道の伝統も加わって昼と夜の時間分水嶺の頃の習慣ですね。どこまでが、祖先崇拝のお墓参りの意味合いなのか、私には少々理解できない所があります。普段の心構えの方が本来の精神に近いのではと思っています。墓石に水をかけ、花を生け、線香立てて儀式の終了はよいのですが、「帰りにどこで昼ごはんを食べていく?」とある義務を果たしたおばさんたちの大声を聞きながら、これは形式的な儀式化している墓参り(心がこもっていない現実処理感だな)と感じました。本当に祖先を崇拝しているの??

                                         立ち並ぶ墓石、花集団

 


「豚骨」という宣伝ちょうちんの店は虎

2014年03月20日 | 日記

20日(木)は朝からかなりの雨でした。時どき小雨になるため、自転車族が歩道を傘片手に乗ってきたり、合羽姿で来たりで結構危ないことですが、多く見られました。

少々買い物をしたいので、梅田の商店街へ出かけました。残念ながら、探しに行ったフラット型スキャナーの薄型中古品に好いものはなかったです。他に欲しかった古いDVDやCDを見つけて買ってきました。また本屋で村上春樹の翻訳本を買ってきました。Franny and Zooey というアメリカ作家 サリンジャー著の本です。60年前のかなり古い時代に書かれた本ですが翻訳本をいきなり文庫本(小型本)で販売です。今年3月1日発行で村上春樹の翻訳はこれで、20数回とかなり多くなります。村上春樹はこの文庫本に翻訳する時、自分の言いたいことを文章化して「投げ込み特別エッセイ」を入れていました。短文なのでこれだけを読むと著書の内容解説的な文でした。本文は未だ未読です。帰りに豚骨の提灯が下がった店がありました。何屋?かなと思ったら正面には暖簾で大衆料理とラーメンの店とあって、店名は特に豚には関係なく、〇虎とありました(上、下の写真)。何でも虎が出てくる大阪らしい店でした。近くの阪急商店街はひっそりと今日は閉店日(月一回のお休み)だったようです。昼過ぎ阪急で帰る前、空いている店がほとんどなく油っこいラーメンは避け、カッフェで素焼きのトーストとミルクですませました。

                                             


曲芸の猿は”動物虐待”か

2014年03月19日 | 日記

19日(水)は、お天気の予報とは違い気温も高く晴れました。スプリングコートを着たり、ダウンコートの人は、前をはだける具合でした。

用事のあと、千里中央の広場で、今日も猿の曲芸見世物をやっているのを見ました。長期の予約?契約?でしょうか、ここではこの見世物をよく見ます。いつみても猿は素直に演技しています。素人的に私が見ると、こういう見世物は、猿の演技だけではなく、猿を操る人間の演技、セリフ、話題、口調なども大きく影響しているし、猿の持つ演技が「人間に似た行動の口上との食い違い」を見せることが面白いことになります。例えばあっち向け、というと猿は素直に向いて見せた後、こっちへ来いというと、全然知らん顔、といった類です。こういう演技を普段に密かな訓練をして、口上と合わせているのでしょう。本来野生の動物に演技を教えることを「ヅーチェック運動」(イギリス発祥の動物園監視運動)では動物虐待に含める話を聞いたこともありました。曲芸見世物でも同じなのでしょうか。

一方で、帰りのある交差点でのことです。紐で結んだ犬と高年齢婦人が横に来ました。信号赤の時でした。婦人は猫撫で?の声で「そんなに先に出たらひかれるよ、信号きちんと守りましょうね」「はい、青になりました。渡りましょうね」と子どもに言うような感じでした。これを見ると自分の癒しや慰めにはそういう言い方もあるでしょうが、言葉が分かるはずもない犬へのある意味で動物虐待に近い「自慰錯覚」ではないのかと思いました。自分が癒されたり、慰めになれば、動物はなんであろうと一向に構わない、気持ちなのでしょうか。情けない。


地下商店街、地下鉄で色々と

2014年03月18日 | 日記

18日(火)は朝は小雨でした。時どき突風も吹きました。寒さはさほどありませんでした。夕方帰宅時には雨は止んで、まずまずのお天気でした。

地下商店街を通り、地下鉄利用で”なんば”から帰ってくる途中に今日は色々なことに出くわしました。まず初めは、なんばの地下商店街で大声の言い争いでした。50~60才くらいの親父2人が午後4時過ぎに、もう酔っぱらって商店街取締管理人に絡(から)んでいるようでした(下の写真①)。30年ほど昔はともかく、最近ではこういうことには余り遭遇していません。何が原因か分かりませんがみっともないです。次は梅田地下街の人通りの多い交差点(地下鉄御堂筋線と阪神電車の多人数交差場所)で市長候補の一人がマイクで喋っていました(下の写真②)。いくら良いことを言ったとしても通りすぎる通行人には邪魔だと思いました。その後、「新大阪駅」で人が減ったので前を見るとなんと5人座っている内の4人がケイタイかスマホに熱中でした(上の写真)。先日読んだIT研究者でエッセイ作家でもある志村史夫氏の著書で「スマホ中毒」というのを思い出しました。この30年間ほどの間に、IT情報狂いから、SMSオタク、スマホ中毒までになったことを嘆く内容でした。これ等の機器は便利なものであるのですが、時間と所、事態の分別を忘れた傍若無人な所業になることを嘆いていました。最近は、歩きながら、自転車、自動車を運転しながら ケイタイ、スマホ をやるようなバカな類がどんどん増えていると「これは近代のアヘンで中毒だ」と名付けていました。まさにその通り。何をやっているのでしょう。

              ①       


神社賽銭箱上の吊るし鈴の名は

2014年03月17日 | 日記

17日(月)は、非常に暖かい好天の日でした。午前中はそれでも多少寒さがありました。昼には、何をしても暑いくらいになりました。4月中旬と同じ気温でしょうか。

散歩の途中である外れにあった小さなお稲荷さんの祠を覗いてみました。キチンと整備されたお稲荷さんです。改めて、賽銭箱の頭上にある祠の名前を確認した時、鈴が目に入りました(上の写真)。お参りする時、これを振りながら鈴を鳴らすことは、一応知っています。その後、拝礼をしたり拍手を打ったりすることも知っています。ただ、この頭上の鈴は正式に何というのか分かりません。恥ずかしながらこの年になるまで正式名称が分からないまま、下で振るって祈ってきました。この名を調べてみると、”鈴の緒(すずのお)”というのだそうです。何となく意味が分かる感じ。昔は、巫女さんを通じて神に憑(つ)く時の聖なる音響だったようです。近代には参拝者が神へ祈りをささげる合図という解釈になっているのだそうです。神社で鈴を鳴らして拝むのは戦後に広く行われるようになったものといいます。どの神社でも同じでしょう。お蔭で神道のことをいろいろ初めて知りました。暫くいくと町はずれに昔の地蔵さんがありました。ここでは、ぶら下げた鈴の緒の紐はありましたが、肝心の鈴が見えませんでした(下の写真)。初めからないのか、誰かがいたずらで盗ったのでしょうか。とすると、罰当たりだね。きっと罰があたる。

                                       神社で鈴を鳴らして拝むのは戦後に広く行われるようになったもので


箕面市のショッピングモールを訪ねて

2014年03月16日 | 日記

16日(日)は、暖かい好天になりました。お昼からはぐんぐん気温も上がり、寒さ慣れでつい春コートを着ましたがやや汗をかきました。

ワイフに誘われて、箕面市にあるショッピングモールへ出かけました。以前、フランス系スーパーがあった場所を起点に改良され広い敷地にモールがあります。キューズモールというのだそうです。一年ぶりに行ってみました。まず広場でガラクタ市が行われていました(下の写真)。色々と店を冷やかして歩きました。気づくと、そのすぐ側になんともう桜が咲いていました(上の写真)。この桜は10年ほど前に箕面市が静岡県河津から贈られた「河津さくら」という早咲で有名な桜だそうです。そういえば、大阪(北部とは言え)では2週間くらい開花が早い勘定になります。でも久しぶりに見る桜の花は桃色が鮮やかで豪華でした。このモールは国道423号線(新御堂筋)と国道171号線が交差する場所になり、複合ショッピングモールとして若いドライバーたちにかなり人気があり、どこも各地から来た若い層の人で溢れていました。千里中央商店街から5km程度しか離れていませんが、両者に幾らか来客の年代差があるようにうかがえました。春本番の日曜、ここは皆さん元気に活発!

                                          


大阪市民の皆さんはこの選挙を真面目に?

2014年03月15日 | 日記

15日(土)は、春らしい冷たさと温かさがが交互した日でした。でも春の足音がしています。大阪城梅園(やや遅い花だけど)では梅が満開とか。

先般、橋下 徹 大阪市長が持論の「大阪都構想」の政党間調整失敗で辞任したとのこと。その市長選挙に彼の他に3人の立候補があったと聞きます。橋本氏以外、全員党派とは関係ないみたいです。対立政治政党ではそんなに急な選挙に間に合うはずもなく、立候補者は無しの模様です。12日には橋下氏を推す松井大阪府知事などが橋下氏と集う維新の会主催の会合(公開討論会)で、来ていた対立候補に対し暴力騒ぎがあったと聞きます。候補者のマック赤坂氏(意味不明の名)が医者で診て貰い怪我をした理由で、訴訟騒ぎになっているようです。何か、大阪らしい次元の低い騒ぎに受け止めました。現職知事と前市長が在席していてそんな騒ぎ発生などと言うのが傑作です。レベルが低いね。今日、地下鉄なんば駅を通りすぎるとき見た感じでは、こんな選挙に皆さん、大勢が知らん顔の旅行スタイル(市外からの旅行者もいるのでしょうが)で忙しくしていました(上の写真)。また天王寺区にあった選挙ポスター掲示板には橋下氏以外は顔写真なども貼ってもおらず、空欄ばかり目だちました(下の写真)。こんな掲示板など無駄に思いました。大阪市民の皆さんは、こんな選挙をどう見ているのでしょうか。本気で市長選挙を見ているのでしょうか。税金の無駄使いだけはいい加減にしてください。

                                               


「ザ・千里タワー」という高い建物

2014年03月14日 | 日記

14日(金)は不思議なお天気になりました。まだ朝2時という時間に、愛媛県西部での震度4という地震で、大阪も幾らか影響があり起きてしまった人もいたでしょう。昨日の雨は上がり、朝方は快晴になりました。昼には曇りだし鉛色の空になってしまい寒くなりました、夕方にはそれがまた快晴という感じでした。

私の住む地域でも千里丘陵になりますので、大阪市内よりかなり標高は高い(多分30m位は高い)と思っています。でも千里中央へ出かける時は、徒歩3から40分程坂道を上りますので、さらに数十mくらいは標高が高いと思います。南海トラフとか、大規模な地震(これはもちろん注意が必要)が発生し、影響で大きい津波が発生しても千里丘陵までは到達しないのでは?と思っています。そんな気でいて、今日ザ・千里タワー(通称 タワービル)の威容を眺めるとまた違う思いがしました。下階の方はスーパーや商店群があり、上階の方は多くの人が住むマンションがあるそうです。標高がある所に、この建物は50階、160mほどの高さがあると聞きます。これはどう見ても、津波より地震の方が心配です。高い場所には、建設会社などもきっと技術をきかせて地震対策しているのでしょうが、住む人はそんな時はきっと肝を冷やすでしょうね。逃げるにもエレベーターは使えないだろうし、階段は随分時間が掛かるということになります。逆に高い所の部屋に返る時、エレベーターが使えない場合はどうするのかと、余計な事を心配してしまいました。私は高い所は好きな方ですが、まあ、ほどほどで良いです。5階以上の階段はごめんですね。

 


25年ほど前に覚えたクラムチャウダーの味

2014年03月13日 | 日記

14日(木)は目覚めの時間から雨がしとしと降っていました。朝から昼にかけてますます本格的な雨になってしまい、外出を止めました。

仕方なく、昔のアルバムや地図を眺めて過ごしました。思い出になることもありました。その中で何度か仕事で訪れたサンフランシスコベイエリアの地図(写真)を眺めていた時、昔現役の時、出張中休日に、出張先サンノゼからサンフランシスコ近郊(約100kmほど南の太平洋岸の寂しい町)サンタクルーズへ単独で運転、遊んだ時のことです。やや涼しい時期、突堤にあった売店で初めて”クラムチャウダー”の大きな紙コップ入りを買い、味わってみました。2ドル半くらいだったと思います。

チャウダー(Chowder)とはアメリカのねっとりしたスープの一種です。魚介類じゃがいもベーコンクリーム、ケチャップなどを入れて煮込んだ具だくさんのスープです。後で調べてみると、ニューヨーク型(ケチャップがベース)とボストン型(クリームがベース)の2種類があると言います。このサンタクルーズ突堤のチャウダーはボストン型で白くて、中には貝(浅利)がふんだんに入っていました。旅愁もあったのか、この美味しい味を覚えました。その後時々そこへ行ったものです。帰国後ワイフにレシピを調べてもらい作ってもらったものです。10年ほどたって、退職後でしたが、豊中市内高齢者仲間のメンバーで渡米した時、たまたまバスでこの海岸サンタクルーズを通り、しかも1時間ほど休憩をしました。私は突堤まで行き、やはり売っていたクラムチャウダーを求めてきて一部の仲間に渡すという面目を施すことができました。この海域で新鮮なクラム(浅利)が採れるのかなあ。その後日本で、どこかのレストランのコースで味わった時、味がちょっと違うし、少量で高額でした


とり小料理屋「本陣」を見て

2014年03月12日 | 日記

12日(水)も好いお天気でした。特に昼過ぎには、風もなく気温が上昇し、軽いジャンパー姿で出歩く親父たちを見ました。

豊中市市内でなく、街はずれに「本陣」という焼き鳥が主体の小さなとり料理屋さんがあります。私が時どき通りすぎる時、見つめるとかなり流行っている様子です。美味しいのでしょうか、女の人も多いように思います(私は入ったことはありませんが、通りすがりには焼き鳥の煙の匂いをかがしてもらっています)。いい季節には夕方、店の前に椅子を置いて待っている人々も見受けます。店名の「本陣」の由来を聞きたいものと思っています。浜本陣 とか 地方大名参勤交代での街道宿場(本陣といった)の名前からとってきたのでしょうか。とりとの関係は外では分かりません。本陣の意味と鳥は直接関係がないとすると何が理由かなと思い、ネットで調べてみると

本陣とは、 江戸時代以降の宿場大名旗本幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家をいうそうです。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえないようです。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かったそうで、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があったとのこと。本陣の由来については、南北朝時代戦国時代に遡らせる説もあるのですが、明確なものとしては、寛永11年(1634年)の将軍徳川家光上洛の際に宿泊予定の邸宅の主人を本陣役・本陣職に任命したのが起源とされ、翌年の参勤交代導入とともに制度化されたとのことです。

ということで、特にとりとは関係はないようです。古い用語を使って宿場の味?を味わってくれ、ということでしょうか。でも名前よりまず「味」ですよね。ここは随分流行っているのでしょうが、午後3時頃今日はまだ開店していませんでした。一度入って見たいと思います。