楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

カタカナ外国語で中身は分らない

2014年06月23日 | 日記

23日(月)はムシムシと暑苦しいお天気でした。薄日も射して梅雨らしい鬱とおしい感じでした。あまり大雨がないので大阪は空梅雨の印象です。でも低気圧型の毎日。

買い物に大阪市と吹田市の境界になる、江坂(地下鉄)まで行ってきました。駅前にほとんど内容がよくわからない歓楽施設ビル看板がありました。私にはそれぞれ大体でしか店の性格やホントの仕事名がわかりません(上の写真)。ほとんどがカタカナの名前で外国からの言葉でしょう。日本人はどうして外国語(カタカナ)が好きなのでしょうか。そのワリにたとえば、日本で生活をしている英語圏の人の感想では、いつも英語で話しかけるとなぜか大部分の日本人は”構えて”しまい、会話にはならないと言います。その割には、店の名前や洋風でもない料理、薬品/化粧品それに完全日本人芸名に何故か横文字(カタカナ)が氾濫しています。中身がどういうものでも、とくに横文字(洋風の名前)であれば、なんとなくいい物であったり、許せるものであるのでしょうか。それを良いものと勘違いしている人(名づける方も、客側も)が多いのでしょうか。ある意味では、明治時代に作られた欧米文化に対する劣等感の裏返し加速でしょうか。帰りに新しくできた老人施設にまで、外国(カタカナ)名が付いていました。これなど入居する高齢者の好みの名前とでも思っているのでしょうか。多分何の意味だかわからないのでないですか(私も分りません)。そんなこと、なんでも良いのよでは,そのうちに子どもの名付けにトムやメリーが氾濫して良い気持ちになる親が出てくるのでは?自分の国の歴史や言語・文化のあり方についていくらかは考えてみましょうや。それぞれはたして新しい時代の発想や発生、日本語では表現ができないものなどのことなのでしょうか。

                                                           ある老人施設で