眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2011年に観た映画 (オフシアター外国映画編)

2012-04-23 00:03:15 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~

去年オフシアターで観た外国映画は39本。1、2月はそもそも冬で調子が悪くて、3月の震災以降は何もする気になれなくて、家に籠もっていた時期が長かったので、自分ではもっと少ないかと思っていた。

ただ、2月に高知県立美術館の冬の定期上映会として「ポルトガル映画祭」(3日間)があったのだけれど、1本も観に行けなかったのは本当に残念。この美術館でのこういった企画は、観に行ったら必ず、私がこれまで知らなかった世界を垣間見させてくれるのに。(オリヴェイラ、モンテイロ・・・名前しか知らない人たちの作品を、1本でも観てみたかった。)


以下「ひとこと感想」を鑑賞順に。



『アイガー北壁』(監督:フィリップ・シュテルツェル)2008

1930年代に「殺人の壁」とまで言われたアイガー北壁に、若い登山家たちが挑戦した実話・・・などと思っていたら、そんな素朴?な内容じゃあなかった。「ナチス政府が国家の優位性を世界に誇示するために、ドイツ人による初登頂を強く望み・・・」といった政治的背景があって、登頂を競う各国の登山家はもちろん、報道陣だの、見物客だのが、高峰の麓にごった返している有様なのだ。
「登る」側と「見る」側 、利用する側とされる側・・・雪山で猛吹雪やアクシデントに耐えている登山家たちを見ていると、その寒さ(もうモノ凄い!)と絶望が伝わってきて、下界の人たち(私自身もこっち側なんだけど)のいつもながらの身勝手さに、本気で腹が立ってきたりした。(それにしても、『劔岳 点の記』でも思ったけれど、当時の装備が質素・粗末なのには、もう泣けてくる思い。こんな格好、こんなモノだけで、あ~んなトコロまで登ってたなんて。そして、ああいうラストになっちゃうなんて・・・。)

『マイレージ、マイライフ』 "UP IN THE AIR" (監督:ジェイソン・ライトマン)

美しい雲の中を行くオープニングが素敵。物語のテンポが良く、会話は機知に富んでいて、とてもよく練られた脚本。誰が観ても楽しめそうな映画・・・なのに、観た後に残った苦味が(私にとっては)ただ事じゃなかった作品。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/c5c42679e56030e58c073acbe04f4259 

『瞳の奥の秘密』(監督・共同脚本・編集:ファン・ホセ・カンパネラ)

2009年度米アカデミー賞外国語映画賞を受賞したアルゼンチン映画とのこと。ネット上でも、知人の間で話題になっていた作品だけれど、観た直後の私のメモには、「だんだん自分が醒めていくというか、作品に浸って観ていることがムズカシクなっていくのに困惑。もしかして私は、煮え切らない男?には興味が持てないんだろうか。」などと。今チラシを見ても、何も思い出さない自分に呆れる。(私にはこういうオトナっぽさ?は、理解出来ないのかも。)

『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(監督:ハル・アシュビー)1971

メモによると、上映会場でのアンケートには「何らかの“枠”を飛び出している!という感じがあって、“有名なカルト映画”という意味もわかった。何にせよ、あのラストは幸福な結末だと思う。」などと書いたらしい。
メモにはさらに続けて、「私はあのモードという女性が、あまり好きじゃない(なぜだろう?)けれど、それでも印象に残った言葉があった。マーガレットの咲く野原に坐って、彼女はハロルドに言う。『同じに見えるけど、花はひとつひとつ違っているのよ。大きいの、小さいの・・・そうでしょ?。だから(あの人たちも)ゆるしてあげなくちゃ。』最後のひと言の早口と、その時だけ見せる視線の鋭さ。腕に残る数字の入れ墨も、観客に見せるのはほんの一瞬。それ以上過去には触れない・・・という作り方も含めて、ラストは不思議な明るさと充足感が残った。」 観ることが出来て良かったと思った映画の1本。

『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』 "The Vintner's Luck" (監督・共同脚本:ニキ・カーロ 原作:エリザベス・ノックス)2009

メモは残ってないけれど、観ている間の唖然!とした感じはよく覚えている。「19世紀初頭のブルゴーニュで始まる、ある醸造家の30年に渉るワイン作りの日々を描いた作品」・・・と言えば確かにそうなんだけど、「主人公は、まだ若く貧しい葡萄農夫だった頃、ワイン醸造に精通しする天使に出会い、その奥義と天使の庭の葡萄の木を譲り受ける代わり、毎年同じ場所、同じ時刻の再会を約束してしまう」・・・となると、ずいぶん印象が違ってくる。
観た後、私に残ったのは、「ワイン=人の人生」という圧倒的な感覚が共有されている世界があるんだな・・・という感慨だった。家族の生死も、天災も、戦争も、或いは人の情熱、愛、渇望、その他ありとあらゆる感情、そしてそれらに耐える苦しみも、すべてがワインに溶け込んで、ワインとして成就してしまう。それほどワイン(造り)は奥深いものなのだと。
徹頭徹尾、異国の風俗を見ている感じだったのに、ふと歌舞伎を連想してしまったくらい、ある種トンデモナイような物語に(私には)見えたのだけれど、当時のブルゴーニュそのままのような風景、美しい衣装(ヴェラ・ファーミガ素敵~)やキャストの良さで、どこまでも転がり続ける物語をそれなりに楽しんで観ていたのを思い出す。
 

以下の4作品は「高知県立美術館 春の定期上映会 ようこそアート映画へ」で上映されたもの。

『メイプルソープとコレクター』(監督:ジェームズ・クランプ)2007 (アメリカ・スイス)

メイプルソープって誰だっけ?な私にも、彼と「稀代のコレクター」サム・ワグスタッフを描くこのドキュメンタリーは、(ネコに小判?ではあってもそれなりに)未知の世界を見せてくれたと思う。メープルソープよりワグスタッフの方が、私には印象的だった。「コレクション」にすることで新たに見つかる「美」があるんだな・・・などと思いながら数々のコレクションを見せてもらったけれど、色々な意味で、後から観た『ハーブ&ドロシー』とは対照的だったと思う。

『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』(監督:クシシュトフ・クラウゼ)2004 (ポーランド)

主人公が描いたクリニツァの街を、高い所から見下ろすシーンが印象に残った。(美しい街に美しい風景画が生まれるのは、もしかして至極当然のことなのかも。)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/e3d3f0fde05a0a47e21f2065c7be9b70 

『アンチクライスト』(監督:ラース・フォン・トリアー 2009 デンマーク・ドイツ・フランス・スェーデン・イタリア・ポーランド)

以前に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て以来、この監督さんの「上から目線」?が好きになれないのだけれど、この映画からはソウイウモノは感じなかった。どちらかというと、「もうほとほと疲れた・・・」という、作り手のボヤキが聞こえてくるようで、その正直さ?が新鮮だったというか(ゴメンナサイ)。
主人公夫婦を演じた俳優さん2人の(演技への)献身には、ただただ圧倒された。(メモには「シャルロット・ゲンズブールの身体の線の美しさも、物語の凄まじさの中ではささやかな清涼剤?なのかも。」などと。)

『倫敦から来た男』(監督:タル・ベーラ 2007 ハンガリー・ドイツ・フランス)

直前に観た『アンチクライスト』で、思った以上にクタビレテしまったらしい。冒頭、モノクロの美しい映像にも集中できなくて、(あ~これ観てたら絶対面白いだろうな~と思いながらも)アキラメて家に帰ってしまった。映画の途中で席を立って帰ってしまうなんて、私としては10年に1度の椿事?かも。(『アンチクライスト』恐るべし。)


『100,000年後の安全』(監督・共同脚本:マイケル・マドセン 2009 デンマーク・フィンランド・スェーデン・イタリア)

 福島での原発事故の後、自主上映グループ(とさりゅうピクチャーズ)の「緊急上映会」として上映されたドキュメンタリー。原発からの大量の高レベル放射性廃棄物の「最終」処分場として、(プルトニウムなどの半減期を考慮して)10万年保持可能な施設を作ろうとしている国がある・・・ということ自体が、私には衝撃的だった。
原発の廃棄物問題と真正面から真剣(現実的)に取り組もうとしている話を、少なくとも私は今に至っても、というか今となっては大量過ぎて尚更?なのか、聞いていないと思う。10年後のことも本気で考えているのかどうか・・・という日本の現実に比べると、10万年などという途方もない時間の長さを本気で考えようとしたフィンランドに、呆気に取られつつも畏敬の念を覚えた。(ただ、それでも非常に難しいことであることは事実・・・。)

 『シチリア!シチリア!』 "Baaria" (監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 2009)

原題は、監督の故郷であるシチリア州バゲリーアの(地元方言による)俗称とのこと。 子どもに始まり子どもに終わる、「故郷」に相応しいタイトルだと思った。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/ad2cbc661d3bdbb82d5e34d09ded26d5 

『クレイジー・ハート』 (監督:スコット・クーパー 2009)

昨年のベストテン上映会で、高知未公開作品として上映されたもの。上映前に偶然街でポスターを見て、その清々しさにハッとしたけれど、観た後、あれは映画の雰囲気そのものだったんだな・・・と、改めて感じたのを思い出す。気持ちの良い風が吹いていくようなあの清々しさは、ヒロインの(母親としての)決断の潔さも含めてのことだったんだな・・・と、後からしみじみ思ったからだ。外国の俳優さんたちが歌が上手いのにはいつも驚かされるけれど、今回一番記憶に残ったのはロバート・デュバル(笑)。小舟で釣りをしながら歌う、その澄んだ細く高い声の可憐さ!に驚いていたら、エンディングでもう一度聞けて、すごーく嬉しかった。
(個人的には物語とは別に、「酒」と「依存症」について考えさせられた映画でもあった。「酒」は芸術や文化に強く結びついているものなので、「依存を起こさせる薬品」としてだけ見るのはおよそ味気ないことだと、私は今も思っている。それでも、お酒とほどほどにつき合うことが出来なくなって、やめてしまわざるを得なかった自分を振り返ってみても、この映画の持つ苦味にはリアルさを感じた。これはこれで、大変なハッピー・エンドなんだな・・・といった意味で。)

『ハーブ&ドロシー』 (監督・プロデューサー:佐々木芽生)

副題に「アートの森の小さな巨人」とあるドキュメンタリー。ハーブ(郵便局員)とドロシー(図書館司書)夫婦が、30年かけて「給料の範囲で」買い集めた「1LDKのアパートに収まる」現代アート作品は、なんと2000点以上! それを2人は、「もう管理しきれなくて・・・」(ドロシー)と全米の美術館に寄贈する。作品を探しに画廊を回るとき、買って来たものを部屋に飾るとき、しまってあるものを出して眺めるとき・・・2人だから出来た、2人だから楽しかったのだ・・・という、芸術に「話し相手と共に」出会う喜びが、彼らの作品を観る目の温かさと共にスクリーンから伝わってくる。ハーブ(見る眼!)とドロシー(口と手と足?)の組み合わせもピッタリで、こういう夫婦、こういう人生もあるんだなあ・・・と、ほとんどフィクションの世界を垣間見るような楽しさ、微笑ましさ?を感じた映画だった。それにしても、たった今、初めて監督が日本人と気づいた。めぐみさんって読むんだ。ウカツな自分~)

『人生万歳!』


主人公の性格設定はもちろん、身ごなしや喋り方も監督(ウディ・アレン)にソックリなのに感心?するような・・・困るような。おまけにヒロインは、いかにも監督好み?の若き金髪美女さん。ただ画面はカラフルなセンスに溢れてて、インテリアも女優さん達の衣装も可愛い~♪ などなど、なんだかアレン監督作品のとても好意的なパロディを観ているような気分になった(笑)。舞台がニューヨークなので、映画のついでに観光させてもらってる気もした(笑)。物語は決してスィートではないと思うんだけど、なんだか懲りない(何に?)オジサンを、「仕方ないなあ、この人はいつもこうなんだから。」なあんて笑いながら楽しく見ている感じで、これをヒラキナオリというのか円熟というのか、私なんかにはワカラナイ~(笑)。(という具合で、思い出すときだけこれほど「(笑)マーク」が付く映画も、私にとっては珍しいかも。観ている最中はそこまで笑えない感じ。そこがいかにもウディ・アレン・・・なのかな。)

『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』 1974


今映画の内容を思い出そうとしても、ほとんど何も覚えていない~(ほんとに困ったもんだけど)。それでも観ている間の緊張感と、観た後の納得!は覚えている。さまざまな立場の人たちに取材し、多くの証言や資料・映像を駆使して、「ベトナム戦争というのは(本当は)こういうものだったのだ」ときちんと説明してもらった気がした。政治にも歴史にも無関心だった中学生の頃の自分に戻って、あの時のTVニュースはこのことだったんだ・・・などと確認しながら見ていたのだと思う。
それにしても、「反戦運動をさらに激化させ無意味な戦争にトドメを刺したともいわれる」ようなドキュメンタリー映画を作ったり、それに賞を与えたりできるアメリカという国に、私はいつも感動する。映画からの帰り道、「今現在起きていること」を自分なりに把握することの難しさを思った。それでも、そういう気持ちをアタマの片隅にでもいつも置いて、自分にできる努力はしなきゃいけないな・・・と。(若い友人もそんなことをよく口にしていたので。)

『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』 1972


前作と2本立てで観た、「ウィンター・ソルジャー公聴会」(1971 デトロイト)のドキュメンタリー映画。米軍が撤退を開始する(1973)以前のことで、帰還兵が「本当のことを口にする」には大変な勇気が必要だった筈・・・と思いながら、彼らの戦争・戦場体験を聞いていた。当たり前のことながら、一人一人彼らは違う人間で、語るときの表情も内容もそれぞれ違っている。「兵士」としては同じコマとして扱われても、人間は一人一人違っていて、それが本来の姿なのだ。それでも「耐え難い経験をした」ことには変わりがない。残虐行為の数々は以前観た『日本鬼子』(2001)を思い出させて、戦争っていうのは要するに、こういう行為を若い人(兵士)たちに強いるんだな・・・と思ったけれど、公開当時は「全米マスコミが黙殺」したけれど「2005年に再公開されて反響を呼び、イラク版“公聴会”開催のきっかけになった」などと聞くと、帰還兵たちの勇気と同時にカメラの力、映像として残ることの重要性を痛感した。
いつ頃からだろう。自分が親の立場になる前か後かもよく覚えていないけれど、私は「戦争とは大人が子どもに殺し合いをさせること」だと思うようになった。この映画を観ながら改めて、そういうことも思い出した。

『アウェイ・フロム・ハー君を想う』 (監督・脚本:サラ・ポーリー カナダ)


日本人の思う「老い」のイメージと、カナダ人にとっての「老い」との違いを強く感じた映画。描かれている「老い」はあくまで夫婦・カップルの問題に絞ってあって、「認知症」についても「愛する人から忘れられてしまう」ことに焦点が当てられているように見えた。
それでも、描写がとても繊細で台詞に頼っていないので、観ているとさまざまなことを考えた。若い頃と違って生きていく上での「選択肢」が限られてくること。過去(の事実)を書き換えることは出来ないこと。それでも人の記憶は自分で作り上げるものであって、残されている時間が短いからこそ、自分の人生(の記憶)を納得のいく形に仕上げようと、人は(たとえ認知症と言われる状態になっても)努力し続けるのだということ・・・。
ヒロインを演じたジュリー・クリスティー。この人を『ドクトル・ジバゴ』で初めて見たのは40年くらい前?のことだけれど、今もこんなに魅力的な、しかも「生身の人間」を感じさせる女優さんであり続けている彼女が、なんだか眩しく見えた。

☆『メアリー&マックス』 (監督・脚本:アダム・エリオット)

県立美術館の夏の定期上映会ではさまざまな国のアニメーションを見せてくれるので、毎年楽しみにしているのだけれど、去年はエネルギー不足で、観られたのはこの1本だけ。独特の造形で、作ったのがこの人だと一目で判るようなクレイ・アニメーション作品。
テレビで同じ監督の『ハーヴィー・クランペット』(米国アカデミー賞短編アニメーション賞受賞 2003)を観たときにも思ったことだけれど、世間的な価値基準ではさっさと「不幸」として一括りで片付けられてしまいそう?な境遇を、ユーモアとある種の忍耐強さ・親切さ?でもって、「唯一無二の人生」として見せてくれる。(2011年オフシアター・ベストテン選考会では第1位!に選ばれた。)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/2c653dcb4932415f5c5cfc60f5af84a8
 

『トスカーナの贋作』 (監督:アッバス・キアロスタミ)


寒さ(冷房!)のあまり?ウトウトしっぱなしになってしまったという残念な1本。でも、私の場合、寒くなくても寝てしまった可能性もある内容だった気も。南トスカーナの小さな街の風景風物が眼に心地良く、夫婦を装う(ことになってしまった?)男女の会話も、どこかワインの酔いに似て・・・といった具合に。

『テンペスト』 (監督:ジュリー・テイモア)


作り手の意図はワカラナイでもない気がするんだけれど、シェークスピアを翻案するのなら、舞台設定だの衣装だのといった見た目だけじゃなく、もっと違うベクトルでイメージをふくらませてほしいな・・・などと思った。(「見た目」の新しさでは、私のようなミーハー観客はすぐに「飽きて」しまうのだ。)
むしろ、いかにもシェークスピアというような台詞じゃなくなって、時代も人物設定も全然違う方が、シェークスピアの普遍性が生きるんじゃないかと。(ジャイモン・フンスーの名前は覚えていなかったけれど、この人の知性も美しさも全然生かされないていない役柄が、個人的にすごーく残念な気がしたのもあって。)

『100歳の少年と12通の手紙』 (監督・脚本・原作:エリック=エマニュエル・シュミット)


風船に手紙をつけて空に飛ばシーンが、今も目に浮かぶ・・・。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/a801ee2513db91ab516bf4e7b82c0ee0

『イリュージョニスト』 (監督:シルヴァン・ショメ 脚本:ジャック・タチ)

映画に詳しい知人の感想に、「これほど旅情をそそられた映画は、実写映画でもなかなかない。それも浮き立つような旅心ではなく、ひとり旅の寂しさを伴った旅情。」という言葉を見たとき、この淡く美しいアニメーションの映像がそのまま目の前に蘇る気がした。そう・・・「旅情」という言葉が、この映画には一番相応しいのかもしれない。人間(やウサギ!
や腹話術の人形)の方についつい眼が行く自分は、元々そういう言葉から遠い所にいるのかなあ・・・と、ふと思ったのを思い出す。

(シネマ・サンライズ 「映画つれづれ草」 http://www26.tok2.com/home/pootaro/impression/diary.cgi )

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/c4694c4dcfa8d45595831d679812d120
 




(続きは別の記事になります。)

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2 コメント

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とんでも (お茶屋)
2012-04-24 23:53:57
『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』は、とんでも映画でしたよね。
笑うしかない(^o^)。
ムーマさんの感想を読みながら思い出し笑いしてました。

『瞳の奥の秘密』は、観た当時はもの凄く面白かったんだけど、何もかも濃すぎたように思います。特にストーリーが胸焼けがするくらい濃かったような・・・。忘れちゃったけど(笑)。
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大真面目なトンデモ~ヽ(^o^)丿 (ムーマ)
2012-04-26 18:45:37
>お茶屋さ~ん、レス遅くなってすみませ~ん。

こういうワインの映画見てると、フランスの人にとっては「官能」抜きの人生ってあり得ないんだな~ってシミジミ思うんですが、それにしても不思議な映画でしたね~(^o^)。
 
『瞳の奥の秘密』の方は、主人公(男性)があまりに優柔不断?に見えちゃって、ラテンの方でも人さまざまなんだなあ(当たり前)・・・って、物語よりソッチに妙に感心?した記憶が。

とにかく、観る片端からどんどん忘れてしまうので、こんなに前の感想書いてるより、最近観た映画のことを書いた方がいいんですが・・・。
せめて『ヤングアダルト』と『ラビット・ホール』は、近いうちに書きたいです。
書けたら、お茶屋さんの感想ゆっくり読もうと楽しみにしています(^o^)。
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