眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『愛を読む人』

2009-07-28 18:12:31 | 映画・本
今回の記事は、映画のストーリー上重要な事柄に触れています。このブログでの映画の感想は、元々所謂「ネタばれ」にあまり注意を払っていませんが、今回は流石に、映画をご覧になってから読んでいただけると幸いです。



 『愛を読むひと』


原作小説『朗読者』を読んだ時よりも、この映画を観た後の方が、私は長い間いろいろなことを思い巡らした気がする。

原作を読んだと言っても結末まできちんと覚えていた訳ではないので、映画を観る際も、小説との違いなどはよく判らなかったし、そもそも「映画」としてとても良く出来た作品で、余計なことを考えているヒマはなく、映画そのものに没頭して観ていたと思う。

ただ、ハンナが読み書きを独力で身につける場面で、英語の本を開き「The」という言葉を追いかける不自然さや、主人公の名前「マイケル」などに違和感をどうしても感じてしまうので、出来ればもう少し「ドイツ語寄り」の作り方をしてほしかったな・・・という気持ちは残った。

感想を何か書いておきたかったけれど、頭の中で想念が茫漠とどこまでも広がっていくようで、整理して言葉に直すことが出来なかった。テーマ?があまりに多くの糸が縒り合わさって紡がれている感じで、しかもそれらの糸の1本1本が、多かれ少なかれ、私には「実感」することが困難(もしかしたら不可能?)な事柄だったのだと思う。

困った私は、人に勧められたこともあって、2週間後同じ映画をもう一度観に行った。そして、私から見たこの映画の輪郭は、ある程度時間を置いて観た2回目で、かなり変わった。

ごく簡単に言うなら、「21歳年上の女性との恋の変遷」よりも、「読み書きが出来ないという秘密を隠し通すために終身刑を選ぶヒロインの心情」よりも、或いはナチス時代のホロコーストという大罪そのものよりも、もっと・・・なのかもしれない、「その時代を生きた第一世代と戦後育ちの第二世代の間に横たわる深い溝」が、私の眼には鮮やかに見えてきたのだと思う。

映画の終盤、生き残ったユダヤ人女性は、ハンナが遺志として残した僅かなお金をも「これを受け取ってどこか相応しい場所に寄付でもしたら、私が赦したのだと人々に思われそうだから」と、拒否する。一方ハンナの方も、出所間際に面会に来た主人公に、「私がここ(刑務所)で何を学ぼうと、死んだ人達は還らない。」と言い切る。

その場の成り行きから、売り言葉に買い言葉?とでもいうような勢いで口にされたハンナの言葉でさえ、なぜだろう、私は彼女なりの本心だと感じた。その後の生き残り女性の言葉(「収容所から学ぶことなど、皆無なのです。」などなど)については、「これが当事者の言葉なんだ・・・」とだけ、強く感じた。

その時その時代を、たまたま与えられた立場で必死に生き延びた「第一世代」の人達は、加害者であれ被害者であれ「当事者」だ。私には、「その場にいなかった」第二世代と「当事者」との間にある溝の深さが、加害者と被害者の間(それは大変な断絶だけれど)にあるものより小さいとは思えなかったのかもしれない。

赦されることがあり得ないほどの罪に対して、部外者に何が言えるだろう。しかし、「第二世代」である主人公も、被害者側から見れば加害者側以外の何者でもない。

何かの「第二世代」は、当事者である第一世代が味わった凄まじさとは別種の苦しみを背負わされている・・・と思うことが時としてあるけれど、第二次大戦後のドイツの人達が味わった世代間の確執、その苦しみに、私は漸く思い当たった。

ゼミの教授は、ハンナの秘密に気づいた主人公に、「なぜ行動しない? 君たち若い者が我々世代の過ちから学ばなくて、一体どうするというのだ!」と叫ぶ。この教授は戦争中は、どうやって生き延びた人だったのだろう。「我々世代の過ち」とは、気づいていて、分っていて、しかし行動には移せなかった諸々のことを指しているのだろうか。

(原作小説の方ではもっと詳しい描写があったと思う)両親、親戚、小学校以来の先生達といった、主人公の周囲の大人たちは、ナチスの時代を一体どう生き延びた人達だったのだろう。

そしてそれがドイツの大多数の人達に当てはまることなのだとしたら、戦後ドイツで育った若い人達は、長ずるに従い、身近な大人に対して、一体どういう気持ちを持っただろう。

主人公の「ここ(刑務所)で何を学んだか?」という問いに込められた痛切な気持ちが、ハンナにはピンと来ないだろう。同様に、ハンナの「読み書きを学んだわ。」という言葉の重さが、中流階級の主人公には全く判らないように、私には見えた。

映画は2人の21歳という年齢差の設定を利用して、本当にさまざまなレベルで多くのことを語っていたのだと思う。


最後に1つだけ「恋」について。

実は2回の観賞を通して、変わらなかった感慨がある。それは、「結局ハンナに関しては、この主人公は最後まで15歳の少年のままだったな・・・。」といったものだ。

大人になってからの主人公が、ハンナの誇り高さについて、あまりにも鈍いというか、私の眼にはほとんどタカをくくっているようにさえ見えるのが、私には不思議でならなかった。恋人同士だった頃は勿論、法廷での彼女を見ていても、彼にはよくよく分っていたはずだと思うのに。

例えば、面会の際の会話。

主人公がもう彼女の「朗読者」になることはあり得ないことを、彼女は瞬時に悟っただろう。観客の私にさえ、ああ、もうこの人はここからは出て行かない・・・と判った。彼女の頑なさと誇り高さは、それぞれがそれぞれを更に強固なものにしているような種類のもので、「誇り」を傷つけることは、決定的な行動を呼ぶのに・・・と、私はなんだかハラハラした。それに気づかないどころか、ハンナとじっと目を合わせて話そうともしない主人公は、終始自分の世界で自分のことだけを考えている、思春期の男の子のように私には見えた。

そういう意味では、この主人公は、ハンナについては毎回そうだった。

法廷で彼女を見て、やがて彼女の秘密に思い当たっても、彼は面会を目前にして引き返す。彼女の秘密を表沙汰にするにせよ隠し通すのに協力するにせよ、会いに行く決心をした以上は、会って彼女の意思を確かめるくらいはしても良かったのに。ことは彼女の刑の軽重だけでなく、法曹の道へ進もうとしている主人公の職業倫理の問題でもあるのだ。どこか後ろめたそうに引き返す彼の風情のせいで、余計に私には彼の気持ちが計りかねた。(しかも、それでも彼は・・・そのまま法律家になってしまうのだから。)

彼女が刑に服している間に朗読テープを送るようになったのも、彼女のためというよりは、むしろ自分のためのように見えた・・・などなど、大人になってからの主人公は、15歳の彼よりも、私の眼にはもっとコドモっぽく見えた。

15歳で大人の女性を相手に最高の「少年の恋」を体験し、しかも突然それをもぎ取られた男の子は、相手に対しては15歳のままなのかもしれないな・・・などと、可哀想なような、でもちょっと微笑ましい?(などという呑気な言葉は、この映画には不似合いだけれど)ような、何ともつかない微妙??な気持ちを、私はこの主人公に対しては持ったのかもしれない。


俳優さん達(特にハンナと2人の主人公役)が素晴らしいので、考え始めると頭の中であれこれ想念が膨らんで、あっという間に1ヶ月が経ってしまった。その間に思ったことを全部どこかに集めておけるならどんなにいいだろう・・・なんて、ちょっと思ったりもする。

でも、こうして辛うじて書き留めた事以外はどんどん消えていくことも含めて、私は「映画1本で1ヶ月も遊んでいられる」シアワセな奴なのだ、きっと。

やっぱり思う。「映画万歳!」







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4 コメント

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僕も普段以上に長文になりました(笑)。 (ヤマ)
2009-07-28 22:43:46
第一世代と第二世代の相克ですか、なるほどねー。
相克とまでは思わずとも、「何かの“第二世代”は、当事者である第一世代が味わった凄まじさとは別種の苦しみを背負わされている・・・」との感慨には、同感です。
それにしても、
原作を既読の方においてさえも「2週間後同じ映画をもう一度観に行った。そして、私から見たこの映画の輪郭は、ある程度時間を置いて観た2回目で、かなり変わった」というふうに映ってくる作品なんですねー。僕も2回目を試せばよかったなー。どんなふうに映り方が変化してきたでしょうねぇ(残念)。
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わ~、同じような感じ方でしたね~ (お茶屋)
2009-07-29 00:02:24
私も「どこか後ろめたそうに引き返す彼の風情のせいで、余計に私には彼の気持ちが計りかねた。(しかも・・・それでも彼は、そのまま法律家になってしまうのだから。)」と思いましたよ。わかんないから、勝手に無理矢理な解釈したけど・・・・。

>むしろ自分のためのように見えた・・・

これはもう完全に自分のためだと思いますー(笑)。朗読日記を発見して懐かしくて録音したんでしょう。

私は15歳の夏に知り合ったその頃のハンナだけが好きだったんだなーと思っていたけど、彼自身がハンナに対しては15歳の時のままだったという見方も出来ると目から鱗でした。
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ヤマさん劇場(拍手) (ムーマ)
2009-07-29 12:00:08
今、ヤマさんの感想を読んできました。いつも以上に?細やかな書き方で、なんだか、もう一度映画を観ている気がしました。だから、掲示板があんなに賑わっていたんですね~(今頃納得)。
談義としてまとめる予定はありませんか? と言いつつ、既に掲示板を遡って読み始めてるんですが(笑)。

それにしても、もう一度ヤマさんがご覧になってたら、ほんとどうなってたかしら。でも、あのショック、あの感動!は、原作を読まず、しかも気づくのが後になればなるほど大きかったと思うので、ヤマさんは本当にラッキーだったんだなあって、ちょっと羨ましかった。2回目を観るのは惜しいデス(笑)。

あ、それと、「相克」という言葉の使い方を、私間違えてました。辞書を引いたら、これでは「勝ち負けを争う」ような意味になっちゃうんですね。私は「確執」に近い感じで使ったんだと思うんですが、普段使いもしないこんなムズカシイ言葉を、なんで使ったのか・・・とにかく、エネルギーが尽きないうちにって急いでたので(エー加減な奴)。
普段の言葉遣いに直しておきます。気づかせて下さって、どうもありがとう(御礼)。
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お陰様で、やっと書けました~。 (ムーマ)
2009-07-29 12:48:14
2回目観て良かったです。(勧めて下さって本当にありがとう!)

私ね、最後にレナ・オリンに問い詰められて、主人公がハンナとのことを初めて人前で話すでしょ? あの時のレイフ・ファインズの表情見てて、主人公の鈍感さとか身勝手さ?訳の分らなさ??なんかを許す気になったんです。(なんか我ながらエラソーな言い方(笑)。)

その前にも、ハンナの死を知ってショックを受け、遺言の中の「彼に宜しくお伝え下さい。」もさらにショック・・・だったと思うんですが、最後の場面での主人公のあの顔は印象的でした。

お茶屋さんの書いておられたように、私も、彼はハンナの遺志を叶えるために生き残りの女性に会ったんだと思うんですが、そのひたむきさというか真情が表情に出ていて、それが15歳の頃の彼にダブって見えたんです。それで、「この人はハンナについてだけは15歳のまま・・・」と改めて思ったのかも。

うーん、どうしても、ロマンチックに受け取ってしまうのね(笑)。私がロマンチストだということ以上に、レイフ・ファインズのせいにしたいなあ(笑)。

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