長すぎる「ひとこと感想」その6。
作り手(監督・脚本・原作:エリック=エマニュエル・シュミット)が元々は劇作家と知って、なんとなく納得するものがあった。
私はたまたまこの人の『イブラヒムおじさんとコーランの花たち(原作・脚本)』、『地上5センチの恋心(監督・脚本)を観ているけれど、ある種のファンタジーというか、「作り物」にしかできない楽しみ方?を観客に見せてくれる人だと思っている。今回は「余命宣告をされた10歳の少年」が主人公なので、テーマはとても重たいものなのだけれど、この人の手にかかると、子どもだからこそ思い描けるファンタジー性?も加わって、見ようによっては「希望に満ちた」作品になっていることに、私はちょっと驚いたのかもしれない。(ウソっぽいというなら、そもそもファンタジーというのは最初から「嘘」なのだ。)
原題は"Oscar and the Lady in pink" 。
主人公(オスカー)は、たまたま病院で出会った「ピンク色の服を着た」宅配ピザ店の女主人(ローズ)が元女子プロレスラー(私は最初、冗談だとばかり思っていた)と聞いて、彼女の色とりどりのバトル風景♪を想像する。彼女は彼をごく普通にぞんざいに扱い、病院の誰もから腫れ物に触るように「重い病気の患者」として扱われることにウンザリしている彼は、そんな彼女を気に入る。
オスカーは、両親の態度にも腹を立てている。若い両親は息子の病状にハラハラし、もう救う手立てが無いと知って動揺しているのだけれど。
「(死が避けられない重病人としてではなく)今ここに生きてる僕を、まっすぐちゃんと見て欲しい!」「それができない僕の両親は臆病者だ。」と言い切るオスカーの強さに、私は眼を瞠る思いがした。
更に彼は言う。「そして、僕まで同じような臆病者だと思っているんだよ!」。
・・・こういう強さは、もしかしたら子どもが本来持っているものなのかもしれない。逆に、子どもは元々「今」がすべての生きものなので、「今、目の前に存在している」自分を素通りして、親たちが「(自分たちにとっての)子どもの死」だけしか眼に入らないことに耐え難い孤独を感じるのかもしれない。
誰も自分を見ていない・・・そんな中で、オスカーは彼を特別扱いしないローズに出会う。
オスカーの相手をしてやって欲しいという院長の頼みを、最初はただピザを毎日買い上げてもらうことを条件に彼女は渋々引き受ける。が、「生きることに不器用」な彼女は、おそらくはその不器用さ故に、オスカーと対等な関係を築いたのだという風に私には見えた。
その後、ローズは彼に「1日を10年間と考えて日々を過ごすこと」と「毎日神さまに当てて手紙を書くこと」を約束させることで、オスカーに「100歳まで生きた人生」を与えるきっかけを作るのだけれど、それはそのまま彼女の人生も変えていく・・・。
人が対等な一個人として出会うということは、片方が片方に一方的に何かを与えることには絶対ならないのだということ。それは重病人と健康な人、大人と子どもといった間柄でも変わらないことを、私は身近で何度も見聞きし、自分自身も経験してきた・・・そんなことも思い出した。
想像の世界でオスカーは、両親や病院のお医者さん、看護師さんたちも一緒に、リング上のローズを応援している。実際は見たことのない女子プロレスを思い描く、それは本当に楽しそうで幸せそのもののような光景だった。彼の望むすべてを満たす風景を、作り手が見せてくれた気がした。
子どもが病気で死んでしまう・・・そんな最悪ともいうべき運命を、私は普段はわざわざスクリーンでまで見たくないと思っているけれど、この映画はどこか「奇妙な味の小説」?のように、所謂「難病もの」というジャンルからは自由になれた作品・・・そんな印象が残っている。
でも。。。
映画は見なくていいです。ごめんね~。
映画を見なくてもムーマさんのこの記事を読んだらとっても幸せな気分になりました。
面白いね。
ムーマさんの記事は、観たような気分になったり、私も観てみたいなと思ったり、観なくて良かったと思ったり・・・です。
いろいろとすっごく参考になってます!!!ありがと~う♪
参考になってるって言ってもらえると、とっても嬉しいです~(笑)。
今回の映画は、リング上のバトル風景がシュールというかキッチュ?というか、ショッキング・ピンクが炸裂してる感じで、最初は呆気に取られて観てました(笑)。
でもchonさんの好みとはちょっと違うと思うし、そもそもこのブログは自分のアタマの整理用なので、読んで下さるだけでもうもう十分。
いつも感謝してます。どうもありがとう!