個人的でとりとめのない「ひとこと感想」その32。(長くなってスミマセン)
去年観た映画の中で、私にとってのベスト1(というか本当に「特別」な1本)はこの映画だったと思う。(あまりに色々 なことを思ったので、わざわざ文字化する気になれなくなったくらい)
私は、「戦争の影響」を、目に見えない深い傷として身に刻み込まれた両親の元で育ち、「戦争」というものについて、いつもどこかで考えさせられてきた。
父親も直接戦地には行っておらず、母親も田舎に住んでいたので(たとえばこの映画のすずさんたちのように)空襲の体験などはない。「まだ若かったので、逆に戦争の直接の災禍は受けずに済んだ」かのように見える彼らはそれでも、ただでさえ感受性の鋭敏な時期に「戦時教育」を受け、病弱な身で「銃後の守り」を強制され、或いは「志願」して「軍隊」を経験し、「自分はもう(「天皇陛下の御為に」)成すべきことはなく、用済みになった」として、敗戦直後に自殺した兄もいて・・・
けれど、この映画はその程度の「深刻」そうな表情さえ、ごく限られた場面でしか見せていないと思った。この映画のメインはむしろ、戦時下でも人々の間には「日常」があり、人は笑ったり怒ったり、時には泣いたりしながら、それでも「当たり前に」生きて暮らしていたのだということを、当時の風景や生活の隅々まで再現しながら、丁寧に描いて見せてくれていることだ。
しかしそれでも・・・アニメーションだから描けた「現実」を、たとえば私は女の子と一緒に防空壕で空襲の終わるのを待つ場面などに感じた。ただ砲撃の音がして画面が揺れるだけなのに、ああ、この子はどんなに怖かっただろう・・・というのが、実写の映画以上に「実感」されるのだ。
「反戦」などという言葉で、当時の現実を一括りにしてしまうことなど、出来るはずがない。真面目なほど、アタマがいい?ほど、正直で素直なほど、当時人は「戦争」に染まっただろうと・・・と、私は自分の周囲を見ながらいつも思わずにいられなかった。
そういう私のモヤモヤを、この映画は(原作を生かそうと努めたからこそ?)そのまま認めてくれたような気がするのかもしれない。(軍需がなくなれば失業者も出る。性能のいいエンジンを作れば、強い飛行機が出来て、それは作った者の誇りでもある・・・そういったことも含めて)
物語について、強く感じたことが一つ。
私は、主人公のすずさんにとって、一番辛くて、でも「耐えなければ」ならなかったのは、「創作者」としての右手を失ったことだと思った。
あの当時、どんなに絵を描くのが好きで、実際に上手でも、それはあくまで「あの子は小さいときから絵が好きで」という程度・意味に受け取られたと思う。特に女性の場合、それが「何かを創り出す」才能だとか、自分自身の土台に直結するものだとは、人は普通考えなかっただろうと。
けれど、彼女の「ぼんやり」も、爆撃されているのに「ここに絵の具があったら」と思ってしまうことも、私の目には、「ああ、この人は「何かを創り出す」種類の人間なんだな」としか見えなかったのだ。
周囲の人の目には、「生活者」としての利き手を無くして不便だろう、面倒かけなきゃいけなくなって肩身が狭かろう・・・という風には見えても、「自分の内部の深いところにあるものを外部に繋げる「表現手段」を失ったのだ」とは、誰にも気づいてもらえなかったと思う。
私の勝手な思いだけれど、私はそれが気の毒でならなかった。女の子を同時に亡くしたことで、すずさんはただひたすら謝ることしか出来なかった。(表現手段としての)右手の喪失を嘆くことなど、ほとんど論外だっただろう。ほとんど自分の半身を、無理矢理引きちぎられたようなものなのに。
映画は当時の生活の細々としたこと、例えば身の回りの道具、料理、道端の草花、人の服装、商店街の町並み・・・を本当に丁寧に描いている。私は母方の実家で幼い頃育っているので、日常的に身近にいたのは、明治生まれの祖母だった。祖母が折にふれて語ったさまざまな話、使っていた道具、窮乏時の料理の仕方、食べられる野草、木の実、或いは薪で沸かす五右衛門風呂・・・そういったことが思い出されて、懐かしさに浸った。
画面の美しさ、溢れるような懐かしさ・・・その中に「戦争」があって、信じられないほど痛ましい話もあるのに、全体としてはやはり「懐かしく」「美しい」。今こうして思い出していても、なんだか小宇宙を透明な玉にして、両手に包んでじっと見つめているような気持ちになる。
興行収益が10億を超えたら、花街の女性(りんさん)のエピソードも含めた「完全版」を作る約束を、監督さんはプロデューサーとしているとか。「完全版」も観たいけれど、全然別の次の作品も観てみたい気がして、ちょっと困っている(^^;。
そう!それ!
頭の隅にぼんやりとあった言いたかったこと。でも何を言いたいか自分では言葉にできなかったこと。
ムーマさんが言ってくれた!
ありがとう!
でも、所謂「女性はいつの時代でも我慢させられている」っていうような種類のことじゃあなくて(それなら同姓に話せば理解も共感も得られると思う)、すずさんの場合、同じ立場の人が身近にはなかなか居ないような種類のことだからこそ辛かったんじゃないか・・・なんて思いながら、でも言葉で説明できないのが自分でももどかしくて・・・
なので、「そう!それ!」と言われて、もうすごーくほっとしました。
こちらこそ、「読んで下さって、書き込んで下さってありがとう!!!」デス。
(次は『聖の青春』か「SING」が観にいきたいな~なんて、やっと考えられるようになりました(^^))
すっかり遅くなってしまいましたが、ひとつ前の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。
僕は、創作者としてのすずさんという視点ではあまり観ていなかったので、非常に新鮮な観賞文でした。利き手を失ったということ以上の意味をあまり意識していなかったのですが、絵の件のみならず、丹念に描出されていた料理もまた「作るもの」ですよね。なるほどなと思いました。
どうもありがとうございました。
リンクとご報告、いつもありがとうございます。
すずさんの「創作者」の側面が、あまりネットなどでは言われていなかったのが残念?で
どうしてもそこだけは(自分の備忘用に)書いておきたいと思いました。
でも「丹念に描出されていた料理もまた『作るもの』」というのは、私は気づいてませんでした。
そう・・・ほんとにそうでしたね。
気づかせてくださって、ありがとう!デス。
モノグサで人づき合いを避けてる?自分ですが
人と言葉を交わすのも大事だな~って思いました。
ありがとうございました(^^)。